年表でみる三井のあゆみ
三井文庫本館の所蔵史料は、17世紀半ば以降の三井家(越後屋呉服店・三井両替店)の古文書類と明治以降の三井系企業の経営資料を中心として、10万点にのぼります。三井350年の歴史を年表でたどってみましょう。
元和8年 | 1622年 | 高利、伊勢・松坂で誕生01「元祖」三井高利 |
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日本の動き幕府、キリシタン五五名を処刑(8月) | ||
寛永9年 | 1632年 | 日本の動き大御所秀忠没(1月) |
寛永12年 | 1635年 | 高利、江戸に出て、長兄・俊次の店に勤務02 松坂の高利 |
寛永14年 | 1637年 | 日本の動き島原の乱はじまる(10月) |
寛永16年 | 1639年 | 日本の動き幕府、ポルトガル人の来航を禁止(鎖国の完成)(7月) |
慶安2年 | 1649年 | 高利、母の世話のため松坂へ帰京02 松坂の高利 |
慶安4年 | 1651年 | 日本の動き三代将軍家光没(4月) |
寛文年間 | 1661~ 1672年 |
このころ、高利、松坂で金融業などを営む02 松坂の高利 |
日本の動きこの時期、全国的な海運の整備進む | ||
延宝元年 | 1673年 | 高利、江戸に呉服店、京に呉服物仕入店を開く(8月)03 江戸進出 |
日本の動き初代市川団十郎、江戸で荒事を演じる(5月) | ||
延宝8年 | 1680年 | 日本の動き徳川綱吉、五代将軍となる(7月) |
天和3年 | 1683年 | 高利、江戸の店を駿河町に移す。両替店を併設(4?5月)03 江戸進出 |
貞享元年 | 1684年 | 越後十日町に縮布の買宿を設置15 呉服店4 商品仕入の多様化 |
貞享3年 | 1686年 | 高利、京に両替店を新設。奥を居宅とする(秋)05 幕府御用の引き受け |
貞享4年 | 1687年 | 高平、幕府の払方御納戸御用を拝命(翌年、元方御用も合わせて拝命) 江戸駿河町に綿店を新設05 幕府御用の引き受け |
日本の動き生類憐みの令(1月) | ||
元禄元年 | 1688年 | 01 「元祖」三井高利 |
日本の動き井原西鶴「日本永代蔵」刊 | ||
元禄2年 | 1689年 | 江戸両替店、本両替仲間に加入(3月18日)05 幕府御用の引き受け |
元禄3年 | 1690年 | 高平・高伴の名で幕府の大坂御金蔵御為替御用を拝命(7月17日)05 幕府御用の引き受け |
元禄7年 | 1694年 | 高利没(5月6日)06 高利の子供たち |
元禄15年 | 1702年 | 日本の動き赤穂浪士、吉良義央を討つ(12月) |
宝永2年 | 1705年 | 呉服店五店で、本店一巻を組織05 幕府御用の引き受け12 呉服店1 事業の構造と推移 |
宝永3年 | 1706年 | 富山大黒屋と安売り競争(秋)14 呉服店3 競争と販売 このころ「高富草案」「此度店々江申渡覚」成る06 高利の子供たち |
宝永4年 | 1707年 | 日本の動き富士山噴火(11月) |
宝永6年 | 1709年 | 高富没(5月5日)06 高利の子供たち |
日本の動き将軍綱吉没(1月)/正徳の治はじまる | ||
宝永7年 | 1710年 | 大元方を設立(1月)07 事業の統合と「大元方」 |
享保元年 | 1716年 | 日本の動き徳川吉宗、八代将軍となり、享保改革はじまる(8月) |
享保2年 | 1717年 | 日本の動き大岡忠相、江戸町奉行となる(2月) |
享保4年 | 1719年 | 三都の両替店、両替店一巻を組織(1月)05 幕府御用の引き受け17 両替店2 事業の構造と推移 「親分」を設け、高平が就任06 高利の子供たち |
享保7年 | 1722年 | 上州藤岡に絹綿買所を設置(3月)15 呉服店4 商品仕入の多様化 「宗竺遺書」「家伝記」「商売記」成る(11月1日)08 危機と記録の時代09 家訓「宗竺遺書」 |
享保11年 | 1726年 | このころより同一七年にかけ、両替店重役ら、不況乗り切り策を提言07 事業の統合と「大元方」 |
日本の動き幕府、物価の引き下げを命じる(12月) | ||
享保14年 | 1729年 | 江戸綿店を江戸向店と改称、本店一巻に編入12 呉服店1 事業の構造と推移 |
享保15年 | 1730年 | 高房、女婿家原政俊を連家に取り立てる(6月)06 高利の子供たち |
享保17年 | 1732年 | 河内の菱屋新田を入手(9月)17 両替店2 事業の構造と推移 |
日本の動き西日本、ウンカの襲来により大凶作/江戸最初の打ち壊し(1月) | ||
元文元年 | 1736年 | 三井組、新旧貨幣の引換御用を拝命(5月)18 両替店3 領主たち |
日本の動き幕府、貨幣改鋳をおこなう(5月) | ||
延享2年 | 1745年 | 本店一巻の売上のピーク12 呉服店1 事業の構造と推移 |
元文2年 | 1737年 | 高平没(閏11月)06 高利の子供たち |
元文3年 | 1738年 | 高房、三男高陳を連家(長井家)に取り立てる(7月)06 高利の子供たち |
日本の動き西陣の織物技術、桐生に伝わる | ||
宝暦元年 | 1751年 | 日本の動き大御所吉宗没(6月) |
宝暦4年 | 1754年 | 江戸呉服店、亀屋・恵比寿屋と販売競争14 呉服店3 競争と販売 |
宝暦10年 | 1760年 | 両替店一巻の純益金のピーク17 両替店2 事業の構造と推移 |
宝暦12年 | 1762年 | 幕府に御用金五万両を上納21 変わりゆく社会、三井の苦悩 |
明和3年 | 1766年 | 江戸芝口店を設置12 呉服店1 事業の構造と推移14 呉服店3 競争と販売 |
明和4年 | 1767年 | 日本の動き米沢の上杉鷹山の改革はじまる |
明和6年 | 1769年 | 紀州徳川家への御用金が累積で三六万両に達する18 両替店3 領主たち |
安永3年 | 1774年 | 大元方の総資産最高額を記録10 大元方1 一族と店舗の統轄 安永の持分け11 大元方2 利益の集約 |
日本の動き「解体新書」刊行(8月) | ||
天明2年 | 1782年 | 伯耆木綿の仕入を開始(10月)15 呉服店4 商品仕入の多様化 |
天明3年 | 1783年 | 日本の動き浅間山大噴火(4月)、天明の大飢饉はじまる |
天明8年 | 1788年 | 京都大火で各店舗類焼(1月)21 変わりゆく社会、三井の苦悩 |
日本の動き田沼意次失脚(8月)/松平定信、寛政改革をはじめる | ||
寛政4年 | 1792年 | 三井組、幕府勘定所の貸付金御用を拝命(11月)16 両替店1 両替業と御用 |
日本の動きラクスマン、大黒屋光太夫を連れ来航(9月) | ||
寛政9年 | 1797年 | 寛政一致(5月) 八郎右衛門、伊豆七島島方産物会所頭取を拝命(6月23日)10 大元方1 一族と店舗の統轄 21 変わりゆく社会、三井の苦悩 16 両替店1 両替業と御用 |
文化元年 | 1804年 | 日本の動きロシア使節レザノフ来航(9月) |
文化5年 | 1808年 | 蝦夷地御為替御用を拝命16 両替店1 両替業と御用 |
文化11年 | 1814年 | 日本の動き伊能忠敬の全国地図、完成(9月) |
文政元年 | 1818年 | 三都の両替店、新旧貨幣の引換所に指定(5月)18 両替店3 領主たち |
文政6年 | 1823年 | 紀州徳川家の銀札発行を請け負う(4月)18 両替店3 領主たち |
天保8年 | 1837年 | 大塩の乱で襲撃され、大坂の店舗焼失(2月19日)21 変わりゆく社会、三井の苦悩 |
日本の動き大塩平八郎の乱(2月) | ||
天保13年 | 1842年 | 幕府の物価引き下げ令により大打撃をうける(6月)12 呉服店1 事業の構造と推移17 両替店2 事業の構造と推移 |
日本の動き天保の改革はじまる | ||
嘉永2年 | 1849年 | 家原家・長井家を切り離す(7月)06 高利の子供たち |
安政元年 | 1854年 | 日本の動き日米和親条約締結(3月) |
安政2年 | 1855年 | 長崎奉行の紅毛方御用を拝命(7月)16 両替店1 両替業と御用 大地震により江戸の店舗大破(10月2日)21 変わりゆく社会、三井の苦悩 |
日本の動き安政江戸地震(10月2日) | ||
安政5年 | 1858年 | 日本の動き日米修好通商条約締結(6月)/安政の大獄はじまる |
安政6年 | 1859年 | 幕府の外国方御金御用を拝命(5月) 横浜店開店(6月)22 開国と幕府の御用 |
日本の動き神奈川・長崎・箱館を開港(6月) | ||
万延元年 | 1860年 | 日本の動き大老井伊直弼、桜田門外で暗殺される(3月) |
文久3年 | 1863年 | 将軍上洛費用の請払御用をつとめる(文久2年10月拝命)16 両替店1 両替業と御用 |
日本の動き14代将軍家茂、上洛(3月) | ||
元治元年 | 1864年 | 禁門の変で、京の店舗類焼(7月18日)21 変わりゆく社会、三井の苦悩 |
日本の動き池田屋騒動(6月)/第一次長州戦争(7月?) | ||
慶応元年 | 1865年 | 薩摩藩の琉球通宝引換業務を請け負う(8月)23 新政府への加担 |
日本の動き第二次長州戦争(5月?) | ||
慶応2年 | 1866年 | 大元方、三野村利左衛門の登用を決定(11月)22 開国と幕府の御用 |
日本の動き薩長同盟成る(1月21日) | ||
慶応3年 | 1867年 | 50万両の御用金のうち32万両が免除となる(3月25日)22 開国と幕府の御用 |
日本の動き15 代将軍慶喜、大政奉還を乞う(10月14日) | ||
明治元年 | 1868年 | 薩摩藩に京で千両を献納(1月2日) 三井・小野・島田、新政府の金穀出納所に一万両を献納(1月15日) 三井・小野・島田、新政府の会計局為替方を拝命(2月3日)23 新政府への加担 |
日本の動き鳥羽・伏見の戦い。戊辰戦争はじまる(1月3日) | ||
明治4年 | 1871年 | 三井組、新貨幣鋳造にともない「新貨幣為替方」を拝命(6月)25 「バンク・オブ・ジャパン」構想 東京大元方を設置(10月)24 明治初期のリーダー |
日本の動き新貨条例公布(5月)/廃藩置県(7月) | ||
明治5年 | 1872年 | 井上馨、三井首脳に対して呉服業の分離を勧告(1月)26 呉服店の分離 小野組と協力して銀行創立願書を提出(6月) 「海運橋三井組ハウス」竣工(6月)25 「バンク・オブ・ジャパン」構想 |
日本の動き国立銀行条例の公布(11月) | ||
明治6年 | 1873年 | 第一国立銀行、「海運橋三井組ハウス」で開業(7月)25 「バンク・オブ・ジャパン」構想 |
日本の動き地租改正条例布告(7月) | ||
明治7年 | 1874年 | 「駿河町三井組ハウス」竣工(2月)28 日本最初の私立銀行 井上馨、先収会社を設立(3月)30 三井物産の創立 三井組国産方開業(8月) |
日本の動き「抵当増額令」布告(10月)/小野組破綻(11月)、島田組破綻(12月) | ||
明治9年 | 1876年 | 三井銀行発足(7月)28 日本最初の私立銀行 三井物産会社設立(7月)30 三井物産の創立 |
明治10年 | 1877年 | 三野村利左衛門死去(2月) |
日本の動き西南戦争(2?9月) | ||
明治11年 | 1878年 | 三井高朗、八郎右衛門を襲名(北家九代)(11月) |
明治12年 | 1879年 | 三井物産、ロンドン支店を開設31 初期三井物産の経営 |
明治14年 | 1881年 | 日本の動き国会開設の勅諭(10月) |
明治15年 | 1882年 | 日本の動き日本銀行開業(10月) |
明治18年 | 1885年 | 三井高福八男・高棟、八郎右衛門を襲名(北家十代)(3月) |
明治21年 | 1888年 | 三井組、官営三池鉱山を佐々木八郎名義で落札(8月)33 三池炭鉱の払下げ |
明治22年 | 1889年 | 三池炭礦社創立(1月)33 三池炭鉱の払下げ |
日本の動き大日本帝国憲法発布(2月) | ||
明治24年 | 1891年 | 中上川彦次郎、三井銀行へ入行(8月)29 三井銀行の経営改革 |
日本の動き足尾鉱毒事件問題化 | ||
明治25年 | 1892年 | 三井鉱山合資会社設立(4月)33 三池炭鉱の払下げ |
明治26年 | 1893年 | 三井物産、三井鉱山、三井銀行、合名会社として営業開始(7月) 三越呉服店を合名会社三井呉服店に改組(9月)26 呉服店の分離 三井高保名義で富岡製糸所の払下げをうける(10月)36 工業化路線とその挫折 三井家同族会発足、三井組は三井「元方」と改称(11月)38 三井合名会社の設立 |
明治27年 | 1894年 | 三井元方に工業部を新設(10月)36 工業化路線とその挫折 |
日本の動き日清戦争勃発(8月) | ||
明治28年 | 1895年 | 日本の動き日清講和条約調印(4月) |
明治29年 | 1896年 | 三井八郎右衛門高棟、男爵となる(6月) 三井物産、ニューヨーク支店を再開(7月)32 三井物産、世界への展開 三井商店理事会発足(9月)38 三井合名会社の設立 |
明治31年 | 1898年 | 三井元方、工業部を廃止(11月)36 工業化路線とその挫折 |
明治32年 | 1899年 | 日本の動き商法公布(3月)/治外法権撤廃(7月) |
明治33年 | 1900年 | 三井家憲施行、三井元方が三井家同族会事務局と改称、三井商店 理事会は営業店重役会に改組(7月)37 三井家憲の制定 |
日本の動き義和団事件(6月) | ||
明治34年 | 1901年 | 中上川彦次郎死去(10月)36 工業化路線とその挫折 |
明治35年 | 1902年 | 三井家同族会事務局に管理部を新設(4月)38 三井合名会社の設立 三井鉱山、三池築港工事に着手(11月)35 三池港の開港 旧三井本館落成(11月) |
日本の動き日英同盟締結(1月) | ||
明治37年 | 1904年 | 株式会社三越呉服店の設立(12月)26 呉服店の分離 |
日本の動き日露戦争勃発(2月) | ||
明治38年 | 1905年 | 日本の動きポーツマス条約調印(9月) |
明治40年 | 1907年 | 三井家同族の重鎮である三井高景、益田孝と欧米見学へ(6月)38 三井合名会社の設立 |
明治41年 | 1908年 | 三池港開港(4月)35 三池港の開港 |
明治42年 | 1909年 | 三井合名会社設立(10月) 三井鉱山、三井合名会社鉱山部となる(10月) 三井銀行、三井物産、株式会社に改組(10月) 東神倉庫株式会社設立(10月)38 三井合名会社の設立 |
明治43年 | 1910年 | 三井高棟、団琢磨とともに欧米視察に出発(4月)40 同族の欧米視察 |
日本の動き韓国併合(8月) | ||
明治44年 | 1911年 | 三井鉱山株式会社設立(12月)33 三井炭鉱の払下げ |
日本の動き関税自主権回復(7月) | ||
明治45年 | 1912年 | 日本の動き中華民国建国(1月) 明治天皇崩御(7月) |
大正3年 | 1914年 | 三井合名会社、理事長制を設置。理事長に団琢磨就任(8月)/三井合名会社、不動産課を設置(8月) |
日本の動きシーメンス事件(1月)/第一次世界大戦勃発(7月) | ||
大正4年 | 1915年 | 日本の動き元老井上馨死去(9月) |
大正5年 | 1916年 | 三井鉱山、日本初の合成染料(アリザリン)を本格的に販売42 石炭化学工業の展開 |
大正6年 | 1917年 | 日本の動きロシア革命(10月) |
大正7年 | 1918年 | 三井物産、大正海上火災保険株式会社を設立(10月) |
日本の動き米価の暴騰、米騒動へ(8月) | ||
大正8年 | 1919年 | 日本の動きベルサイユ講和条約調印(6月) |
大正9年 | 1920年 | 日本の動き三井物産棉花部分離、東洋棉花株式会社設立(4月) |
日本の動き国際連盟第1回総会(11月) | ||
大正12年 | 1923年 | 旧三井本館、関東大震災で被災(9月)38 三井合名会社の設立 |
大正13年 | 1924年 | 三井信託株式会社設立(3月)43 金融部門の拡大 |
大正14年 | 1925年 | 三井物産、三機工業株式会社を設立(4月)41 三井物産の多角化 |
日本の動き普通選挙法公布(5月) | ||
大正15年 | 1926年 | 三井物産、東洋レーヨン株式会社を設立(1月)41 三井物産の多角化 三井鉱山、インジゴの工業化に成功(4月)42 石炭化学工業の展開 三井合名会社、高砂生命保険株式会社を買収(翌年2月に三井生命 保険会社と名称変更)43 金融部門の拡大 |
日本の動き大正天皇崩御(12月) | ||
昭和2年 | 1927年 | 日本の動き昭和金融恐慌(3?4月) |
昭和3年 | 1928年 | 三井物産、日本製粉株式会社を傘下におさめる |
日本の動き張作霖爆殺事件(6月) | ||
昭和4年 | 1929年 | 三井本館完成(3月)44 三井の規模 |
日本の動きニューヨーク株式市場で株価暴落(10月) | ||
昭和5年 | 1930年 | 日本の動き金輸出解禁(1月)、昭和恐慌 |
昭和6年 | 1931年 | 三井鉱山、三池窒素工業株式会社を設立(8月)42 石炭化学工業の展開 |
日本の動き満州事変勃発(9月?)/金輸出再禁止(12月) | ||
昭和7年 | 1932年 | 三井合名会社理事長団琢磨、血盟団員により射殺される(3月)45 財閥の「転向」 |
日本の動き井上準之助前蔵相、血盟団員に暗殺される(2月)/満州国建国宣言(3月)/五・一五事件(5月) | ||
昭和8年 | 1933年 | 三井高棟、三井合名会社社長、三井家同族会議長を辞任、北家家督を嫡子高公に譲る(3月)45 財閥の「転向」 三井鉱山、東洋高圧工業株式会社を設立(4月)42 石炭化学工業の展開 |
日本の動き日本、国際連盟脱退(3月) | ||
昭和9年 | 1934年 | 財団法人三井報恩会の設立(4月)45 財閥の「転向」 |
昭和11年 | 1936年 | 三井合名会社、停年制を実施(5月) 三井合名会社、日東拓殖農林株式会社を設立(7月) |
日本の動き二・二六事件(2月)/日独防共協定(11月) | ||
昭和12年 | 1937年 | 東洋高圧工業、三池窒素工業を合併(2月)42 石炭化学工業の展開 三井物産造船部、株式会社玉造船所として分離独立(7月)41 三井物産の多角化 |
日本の動き盧溝橋事件(7月)、日中戦争開始 | ||
昭和13年 | 1938年 | 日本の動き国家総動員法公布(4月) |
昭和14年 | 1939年 | 日本の動き第二次世界大戦勃発(9月‐) |
昭和15年 | 1940年 | 三井総元方の設置(8月) 三井物産が三井合名会社を合併(8月)48 戦時下の事業再編 |
日本の動き日独伊三国同盟調印(9月)/大政翼賛会発足(10月) | ||
昭和16年 | 1941年 | 三井化学工業株式会社設立(4月)47 戦争と鉱山 三井不動産株式会社設立(7月)48 戦時下の事業再編 |
日本の動きアメリカが在米日本資産凍結を実施(7月)/ハワイ真珠湾攻撃(12月)、太平洋戦争開戦 | ||
昭和17年 | 1942年 | 株式会社玉造船所、三井造船株式会社に商号変更(1月) 東神倉庫、三井倉庫株式会社に商号変更(3月) 三井物産船舶部、三井船舶株式会社として分離独立(12月)48 戦時下の事業再編 |
日本の動きミッドウェー海戦(6月) | ||
昭和18年 | 1943年 | 株式会社帝国銀行発足(4月)46 帝国銀行の発足 |
日本の動きガダルカナル島撤退開始(2月)/イタリア、無条件降伏(9月) | ||
昭和19年 | 1944年 | 三井総元方廃止(2月) 三井物産が株式会社三井本社に商号変更、三井本社の設立(3月) 三井本社から商事部門と木材部門を分離し、三井物産株式会社と三井木材工業株式会社を設立(3月)48 戦時下の事業再編 |
日本の動きサイパン島陥落(7月)/東条内閣総辞職(7月) | ||
昭和20年 | 1945年 | GHQが、「持株会社の解体に関する件」を公表(11月) 三井高公、三井本社従業員を食堂に集めて解散表明(11月)49 三井財閥の解体 |
日本の動きポツダム宣言受諾(8月)/国際連合発足(10月) | ||
昭和21年 | 1946年 | 三井家同族会、解散を決議(7月) 三井本社解散(9月)49 三井財閥の解体 |
日本の動き日本国憲法公布(11月)/財産税公布(11月) | ||
昭和22年 | 1947年 | 三井十一家、財産税を申告(2月) GHQ、日本政府に対して三井物産の解体を指令(7月)49 三井財閥の解体 三井物産解散(11月)、第一物産の設立(7月)50 敗戦からの復興-三井グループ再結集へ |
日本の動き過度経済力集中排除法公布(12月) | ||
昭和23年 | 1948年 | 帝国銀行から旧第一銀行を分離(9月)46 帝国銀行の発足 |
日本の動き大韓民国成立(8月)、朝鮮民主主義人民共和国成立宣言(9月) | ||
昭和24年 | 1949年 | 日本の動き中華人民共和国の成立( 10 月) |
昭和25年 | 1950年 | 三井グループ企業の懇談会「月曜会」発足(2月) 持株会社整理委員会の決定により、三井鉱山から金属部門を分離、 神岡鉱業株式会社設立(5月)50 敗戦からの復興-三井グループ再結集へ |
日本の動き朝鮮戦争開始(6月) | ||
昭和26年 | 1951年 | 日本の動きサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約調印(9月) |
昭和27年 | 1952年 | 財閥商号使用禁止等の政令廃止50 敗戦からの復興-三井グループ再結集へ |
日本の動き日本、IMFに加盟(8月) | ||
昭和29年 | 1954年 | 帝国銀行、三井銀行に改称(1月)46 帝国銀行の発足 |
昭和31年 | 1956年 | 日本の動き日本、国際連合加盟(12月) |
昭和34年 | 1959年 | 第一物産を中心に三井物産大合同、(現)三井物産の誕生50 敗戦からの復興-三井グループ再結集へ |
昭和36年 | 1961年 | 三井グループ企業の社長会「二木会」発足(10月)50 敗戦からの復興-三井グループ再結集へ |