第Ⅳ章 三井家と神々
江戸時代の三井家では神々への信仰も篤く、商売繁盛の御利益で知られる恵比寿・大黒天などの福の神、商売繁盛から五穀豊穣まで様々な御利益のある稲荷(三囲神社)、三井家の本籍地である伊勢の伊勢神宮などを大切にしていました。また、戦前まで、三井家の祖先を祀る顕名霊社という神社を整え、高利以前の歴史を伝える記録類を収めていました。顕名霊社では高利など三井の祖先の遠忌には、菩提寺である真如堂とともに法要・祭礼を盛大に催しています。
75 松樹院殿御形見箱(蓋裏大黒天図)
松樹院殿御形見箱
(蓋裏大黒天図)
伝尾形光琳筆
江戸時代・17~18世紀
縦 37.5 横 28.6 高 13.4
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
Box for keepsake of Mitsui Takatoshi
Painting of Daikoku : Attributed to Ogata Korin
Edo period, 17-18th c.
Mitsui Memorial Museum
元禄7年(1694)に没した高利(法名:松樹院)所用の遺品を納めた箱である。高利の遺品は越後屋の幹部たちにも分配されており、箱の貼札には宝永7年(1710)の拝領品である旨が記される。真贋には検討を要するが、蓋裏には尾形光琳(1658~1716)の筆と伝わる大黒天図があり、大切な形見の品々を納める箱を、当時の京を代表する大画家・光琳の絵で飾りたいという、先祖への思いがしのばれる。
76 大黒図 宗竺賛
大黒図 宗竺賛
三井高房筆・高平賛
江戸時代・享保13年(1728)
縦 26.6 横 37.4
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
Daikoku
Painting by Mitsui Takafusa, Letter by Mitsui Takahira
Edo period, 1728
Mitsui Memorial Museum
高房が描いた大黒天で、高平による『大こくの持やつちのえさるの年 宗竺』の句が添えられている。戊申の年は、享保13年(1728)年にあたる。打出の小槌を持ち、大きな袋を背負い、米俵の傍らに座る大黒天は、親しみのある表情で味わい深い。商売繁盛の神として知られる大黒天と恵比寿は、三井家が特に篤い信仰を寄せていた。
77 大黒図
大黒図
三井高房筆
江戸時代・18世紀
縦 93.5 横 43.9
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
Daikoku
By Mitsui Takafusa
Edo period, 18th c.
Mitsui Memorial Museum
大黒図 宗竺賛とは趣が異なり、大胆な筆致で画面いっぱいに大黒天が描かれている。高房は多くの大黒天や恵比寿を描いているが、高房以外の三井家当主達による作品も伝わっている。落語には『三井の大黒』という演目があり、その題材となった背景にはこうした三井家と大黒天との深い繋がりがあったのだろう。
78 大黒・恵比寿図
大黒・恵比寿図
三井高房筆
江戸時代・延享元年(1744)
(各)縦 83.4 横 34.2
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
Daikoku and Ebisu
By Mitsui Takafusa
Edo period, 1744
Mitsui Memorial Museum
高房による大黒天と恵比寿の対幅である。越後屋では、毎年1月・10月の19日に商売繁盛を祈願する蛭子講が行われていた。特に元文元年(1736)以降は、各店に高房筆の大黒・恵比寿図を掛けることが習わしとなり、本図もその一つと考えられる。にこやかに微笑む大黒天と恵比寿が手慣れた様子で描かれ、延享元年(1744)2月の子祭(大黒天の祭り)の日に写したことが分かる。
79 落合七太夫元吉譲状
落合七太夫元吉譲状
落合元吉
江戸時代・正保2年(1645)
縦 39.0 横 36.0
三井文庫
Transfer Deed of Territory from Ochiai Shichidayu to Ochiai Gondayu
By Ochiai Motokichi
Edo period, 1645
Mitsui Bunko
落合七太夫(七郎太夫)元吉から、実子である落合権太夫吉久に、伊勢御師の担当地域を引き継ぐ証文。元吉は高利の祖父・高安の次男で、高利にとって叔父にあたる。3歳のとき伊勢山田の御師、落合藤太夫吉次の養子となり、のち家督を相続して七郎太夫と名乗ったという。落合氏は明治時代に入ると御師としての役割を終え、その後血統は絶えたという。
80 伊勢太々神楽湯立釜
伊勢太々神楽湯立釜
三井高治在銘・落合権太夫所持
江戸時代・正徳6年(1716)
総高 64.0、最大径 55.4
三井文庫
Caldron for Daidai-Kagura
Edo period, 1716
Mitsui Bunko
伊勢外宮岡本の御師・落合権太夫が太々神楽で使用した湯立釜。胴には三井家の四ツ目結紋が鋳込まれ、新町三井家初代・高治(1657~1726)による銘文、および落合権太夫の名が刻まれている。高治の銘文から、この釜が正徳6年6月に作られ、落合家に寄進されたことがわかる。高治は宝永6年(1709)から正徳6年7月まで八郎右衛門を名のっているが、正徳6年6月22日に享保に改元され、8月から北三井家三代・高房が八郎右衛門を名のる。
81 享保二十一年太々神楽執行前後之控
享保二十一年太々神楽執行前後之控
京両替店
江戸時代・享保21年(1736)
縦 16.5 横 45.7
三井文庫
Records of Daidai-Kagura Dedications by Mitsui Shops
Kyo-Ryogaedana, Mitsui Money Changer in Kyoto
Edo period, 1736
Mitsui Bunko
享保21年(=元文元年、1736)4月に三井の呉服・両替部門共催の太々神楽を執行した際の日記形式の記録。伊勢御師の落合氏に依頼して神楽執行を行っている。4月11日に開催希望を出したところ、別の神楽の先約があったため16日に延期したこと、京本店・京両替店・上ノ店・糸店・大坂本店・大坂両替店から代表手代を派遣したことなどを記す。支出の記載もあり、神楽料や土産代などで金35両ほどかかったようだ。
82 浮絵伊勢太神宮両所太々御神楽之図(歌川豊春画)・伊勢大々御神楽之図
浮絵伊勢太神宮両所太々御神楽之図(歌川豊春画)
伊勢大々御神楽之図
江戸時代・18世紀
(上)縦 24.7 横 37.3
(下)縦 36.7 横 49.3
三井文庫
The scene of Ise Daidai-Kagura
Edo period, 18th c.
Mitsui Bunko
「お伊勢参り」は、江戸時代に何度となく大流行した。その参詣の仲介役となったのが御師である。外宮の山田や内宮の宇治には御師が軒を連ねていた。その役割は全国各地に伊勢講を組織し、参詣の際には宿泊と参詣の案内を行い、館内の神殿では、湯立の神楽を興行した。その神楽の中でも最も大掛かりなものが太々神楽と呼ばれ、図に見るような贅を尽くした神楽が奉納された。三井家も高利の紀念祭などでは太々神楽を奉納している。
83 伊勢参詣曼荼羅
伊勢参詣曼荼羅
江戸時代・17世紀
(各)縦 127.0 横 87.3
三井文庫
Ise Shrine Pilgrimage Mandala
Edo period, 17th c.
Mitsui Bunko
伊勢松坂出身の三井家は、伊勢神宮への信仰にも熱いものがある。この参詣曼荼羅は、伊勢神宮の勧進の絵解きに用いられたもので、右幅に外宮、左幅に内宮の参詣ルートが描かれており、江戸初期に描かれたものと考えられる。三井高利の叔父が伊勢神宮の御師・落合家の養子となっており、伊勢神宮との関係も深い。この曼荼羅は京都の三井本店(呉服店)が万延2年(1861)に入手して、本店出入りの職方の伊勢講である三永講に寄贈したものである。
右幅には、上部に金色の日輪が配され、外宮の神域と参詣ルートが描かれる。右幅下から、宮川と山田の町、世義寺と子良館、外宮正殿、背後の山から岡本町が描かれる。
左幅には、上部に銀色の月輪が配され、下から宇治の町から宇治橋を渡って内宮へ、さらに橋の先に風日祈宮に背後の朝熊山、そして富士山の遠望が描かれる。伊勢神宮における中世以来の神仏習合を色濃く伝えており、数少ない伊勢参詣曼荼羅の貴重な1点である。
84 其角?句短冊「夕立や…」
其角?句短冊「夕立や…」
伝 宝井其角筆
江戸時代・17~18世紀
縦 40.4 横 6.2
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
Strip of paper, Haiku poems, “Yudachi-ya”
Attributed to Takarai Kikaku
Edo period, 17-18th c.
Mitsui Memorial Museum
三囲神社が江戸の名所となる契機を作った、宝井其角の句「夕立や 田を見めぐりの神ならば」の短冊である。越後屋から見て北東に位置する三囲神社は、鬼門除けとして享保年間(1716~36)前後より、三井家で信仰された。また「囲」の字が三井の「井」を含む点も験担ぎとされたようである。三井家とその組織は時代を通じ、社殿等の修理・改築を支援したほか、現在も三越各店に勧請され祀られており、同家との縁の深さを物語っている。
85 武蔵第一名所角田河絵図並古跡付
武蔵第一名所角田河絵図並古跡付
野々山?山画、大窪詩佛・橘千蔭賛
江戸時代・19世紀
縦 33.0 横 70.8
三井文庫
Map of temples, shrines, and historic remains besides the Sumida River
By Nonoyama Kozan
Edo period, 19th c.
Mitsui Bunko
隅田川沿いの寺社や古跡を描いた絵地図の摺物で、文化元年(1804)に佐原菊塢が開いた、向島百花園が中心的に紹介される。画面左端中央に「三囲いなり」が描かれ、江戸中期に当地が名所化する契機となった其角の句「夕立や 田を(本図では「田も」)見めぐりの神ならば」が添えられる。筆者の野々山?山(1780~1848)は狩野美信に学んだ江戸の絵師で、酒井抱一主催の文化12年の光琳遺墨展に手鑑を出品する等、江戸の文人との交流も認められる。
86 江戸一目図
江戸一目図
鍬形蕙斎画
江戸時代・19世紀
縦 42.5 横 58.3
三井文庫
The wide view of Edo
By Kuwagata Keisai
Edo period, 19th c.
Mitsui Bunko
現在の亀戸駅上空付近から、隅田川方面の江戸の街が少々デフォルメを加えて描かれ、さながら衛星写真のようである。同じく鍬形蕙斎(1764~1824)の「江戸一目図屏風」(岡山・津山郷土博物館蔵)と構図が共通し、同作を基に制作したものと思わしい。画中には地名が書き込まれ、右下の「大川ハシ」の右斜め下に「ミメクリイナリ(三囲稲荷)」が、中央部の日本橋の右側には「三井」と書かれた越後屋も見える。蕙斎はもと北尾政美と号した浮世絵師で、津山藩の御用絵師となってからは狩野惟信に学んだと伝わる。
87 顕名霊社・御神宝甲冑図
顕名霊社・御神宝甲冑図
国井(円山)応祥筆
昭和9年(1934)
(各)縦 125.1 横 35.9
三井文庫
Akina Reisha Shrine and Armors, sacred treasure
By Kunii ?sho
Showa period, 1934
Mitsui Bunko
顕名霊社は遠祖・三井越後守高安をはじめ、没後百年を経過した、三井家の先祖夫妻を祀る祖霊社。廃仏毀釈や戦争等により各所を転々とし、現在は東京の三囲神社の一角に設けられている。本図は顕名霊社と、御神宝として祀られた伝高安着用の甲冑を三幅対で描く。漆の剥落など含め、現物を精緻に写しとろうと試みている。
国井(のち円山)応祥(1904~1981)は円山応挙の末裔にあたる近代の日本画家。祖父・応文の代から、しばしば三井家の画事を請け負った。
88 白糸中紅糸威胴丸具足
白糸中紅糸威胴丸具足
伝三井高安所用
桃山時代・16~17世紀
後胴丈 39.5 鉢高 18.7
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
D?maru type Armor, white and red lacing
Momoyama period, 16-17th c.
Mitsui Memorial Museum
この甲冑は、元祖・三井高利(宗寿・1622~1694)の祖父で、三井家の家祖とされる三井高安(宗観・?~1610)の所用として伝わり、顕名霊社の御神宝として祀られていたものである。高安は近江の佐々木六角氏に仕えた武士で、鯰江城の城主として越後守を名のっていたといわれる。六角氏滅亡後に伊勢に移り住み商人になったという。小札と椎形の兜などは白檀塗で、宝暦5年(1755)7月に納めたと記される具足櫃に入り、大正14年(1925)に修復されている。
89 縹糸素懸威胴丸具足
縹糸素懸威胴丸具足
伝三井高安所用
桃山時代・16~17世紀
後胴丈 35.7 鉢高 20.5
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
D?maru type Armor, blue lacing
Momoyama period, 16-17th c.
Mitsui Memorial Museum
この甲冑も、家祖三井高安の所用として伝わり、顕名霊社の御神宝として祀られていたものである。伊予札に銀箔を押し、縹色の糸で素懸けに威した胴に、烏帽子形の兜が付く。ほかに袖・頬当・籠手・佩盾・脛当・腰帯などが付属する。記録では安永年間(1772~1781)に奉納されたとあり、具足櫃には天保12年(1841)再建の墨書があり、この時櫃が作られたものであろうか。大正14年(1925)に修復がなされているが、かなり傷みが目立つ。
90 顕名霊社図
顕名霊社図
川端玉章筆
明治時代・19~20世紀
縦 111.4 横 30.4
三井文庫
Akina Reisha Shrine
By Kawabata Gyokusho
Meiji period, 19-20th c.
Mitsui Bunko
「顕名神社庚門 寫於湯亭」とあり、淡白な画風ながら、鳥居から見た顕名霊社の旧社殿・手水舎が的確に表されている。款記に見える「湯亭」が指す場所については未詳である。川端玉章(1842~1913)は明治期の円山派の日本画家。もと三井の奉公人で、画才を見出されて絵師となる。東京美術学校で教鞭を執ったほか、三井家の邸宅を飾る障壁画も手掛けた。
91 日記
日記
顕名霊社事務所
昭和8年(1933)
縦 24.5 横 16.9
三井文庫
Diary
Akina Reisha Shrine Office
Showa period, 1933
Mitsui Bunko
顕名霊社の社務所の作成した日誌である。明治42年(1909)から昭和21年(1946)まで、社務に関する事柄を簡単に記す。祖先を祀る遠忌の祭礼など、特記すべきイベントのあった際は情報量がやや多い。ここに掲げたページには昭和8年(1933)10月に顕名霊社で挙行された三井高公(北三井家十一代当主)の男爵襲爵奉告祭の記事を含み、参加者などが簡単に記されている。
92 下鴨顕名霊社平面図
下鴨顕名霊社平面図
大正14年(1925)
縦 69.5 横 97.7
三井文庫
Map of Akina Reisha Shrine in Shimogamo
Taisho period, 1925
Mitsui Bunko
江戸時代、顕名霊社は京都太秦の木嶋社境内に置かれていた。近代に入り数度の移転を経て、明治42年(1909)に下鴨に遷座した。その後拝殿の建設や、木屋町の北家別邸の主屋を休憩所として移築するなど整備をすすめ、大正14年に図のような姿となる。戦後、同地は京都家庭裁判所に譲渡され、霊璽は東京向島の三囲神社に遷座した。休憩所は裁判所長宿舎として使われたが、現在旧三井家下鴨別邸として一般公開されている。
































