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第Ⅰ章 三井越後守から高平まで
– 黎明期の人々と遺愛品 –

三井高利(1622~1694)は伊勢松坂に生まれました。祖父越後守高安は佐々木六角氏に仕えた武士で、六角氏滅亡後、伊勢に移り住みます。父高俊と母殊法の代に松坂で酒・味噌と質屋を営み、特に殊法の商才により繁盛しました。この店は「越後殿の酒屋」と呼ばれていましたが、時の松坂城主の指示により「越後屋」と改めました。高利の長兄俊次も有能な商人で、江戸本町に小間物と呉服の店を出して成功します。高利は14歳のとき俊次の店に働きに出て、店を繁盛させます。28歳で母の世話するため帰郷して金融業を営みますが、延宝元年(1673)、江戸本町一丁目に呉服店「越後屋」を開業し、京都に仕入店も設けました。三井の事業の始まりです。

1 三井高利夫妻像みついたかとしふさいぞう

1 三井高利夫妻像

三井高利夫妻像みついたかとしふさいぞう
江戸時代・17世紀
縦 24.5 横 35.0
個人蔵

The Portrait of Mitsui Takatoshi and Kane
Edo period, 17th c.
Private Collection

三井高利(宗寿そうじゅ・1622~1694)と妻かね(寿讃じゅさん・1635~1696)の夫妻画像。後に描かれる夫妻像のもとになった根本の画像ともいえるものである。手に数珠じゅずを持ち、晩年の姿であるが、夫妻の生前に描かれた寿像じゅぞうと思われる。高利の顔立ちは、晩年とはいえいかにも日本一の商人らしい鋭さがうかがえる。両脇の戒名かいみょうは没後に記されたものであろう。織りむらのある絹に描かれているが、所縁ゆかりのありそうな絹である。

2 駿河町越後屋正月風景図するがちょうえちごやしょうがつふうけいず

2 駿河町越後屋正月風景図

駿河町越後屋正月風景図するがちょうえちごやしょうがつふうけいず
鳥居清長とりいきよなが
江戸時代・18世紀
縦 42.3 横 71.0
三井記念美術館

New Year Scene at Echigoya in Surugacho
By Torii Kiyonaga
Edo period, 18th c.
Mitsui Memorial Museum

富士山を中心に、江戸駿河町の越後屋を透視図法で描く。向かって右が呉服店ごふくだな、左が関東絹や木綿類を扱う店となる。従来の呉服販売は、馴染みの顧客宅を訪ねて値段を交渉し、期末に一括で支払う方式が一般的だったが、それを高利は「店頭販売・現金払い」とし、より不特定多数の顧客を獲得した。また、値引き交渉前提で高めに値を付ける「掛値かけね」の慣習を撤廃して定価販売としたことも、顧客拡大に繋がったとされる。画中の看板にも見える「現銀(金)掛値なし」と称したこの方式は、三井のキャッチコピーでもあった。

3 三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形みついえちごのかみあてべにこやとうだゆうあずかりてがた

3 三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形3 三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形

3 三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形みついえちごのかみあてべにこやとうだゆうあずかりてがた

3 三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形3 三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形

三井越後守宛紅粉屋藤太夫預手形みついえちごのかみあてべにこやとうだゆうあずかりてがた
紅粉屋藤太夫(落合吉次)
桃山時代・慶長3年(1598)
縦 17.0 横 27.0
三井文庫

Debenture from Benikoya Todayu to Mitsui Takayasu
By Benikoya Todayu
Momoyama period, 1598
Mitsui Bunko

高利の祖父・高安たかやす宛ての借用証文で、紅粉屋(落合)藤太夫が金子二枚を借りた、という内容である。差出人の落合家は親類で、伊勢神宮の御師おんしであった。高安は元々武士で「三井越後守」を名乗っていた。「越後屋」の屋号はここに由来する。高利の両親が松坂で酒・味噌で商売をしていたとき「越後殿の酒屋」と呼ばれていたが、松坂城主に「紛らわしい」ので越後屋を名乗るように、と命じられたという。三井越後守と書かれた現存唯一の史料である。

4 高安殿和歌たかやすどのわか

4 高安殿和歌4 高安殿和歌
4 高安殿和歌4 高安殿和歌

高安殿和歌たかやすどのわか
伝三井高安筆
桃山時代・16~17世紀
縦 25.0 横 8.0
三井文庫

Waka Poem
Attributed to Mitsui Takayasu
Momoyama period, 16-17th c.
Mitsui Bunko

高安の詠んだ和歌とされるもの。高安は佐々木六角氏に仕え、信長に敗れたあと伊勢に下ってきたとされている。最初、雲出くもず(現在の三重県津市の南部)に居住し、子の高俊の代に松坂に移り住んだといわれる。作成時期は不明ながら、この歌の中に「いせ」「くもつ」とあることから、雲出に落ち着いた時の心情を詠んだものであろうか。

5 釘抜越後屋店頭之図くぎぬきえちごやてんとうのず

5 釘抜越後屋店頭之図

釘抜越後屋店頭之図くぎぬきえちごやてんとうのず
江戸時代・18世紀
縦 28.0 横 43.5
三井文庫

The Picture of Echigoya with Nail-Puller Crest
Edo period, 18th c.
Mitsui Bunko

釘抜紋の暖簾印のれんじるしの呉服店を描いたもの。釘抜とは、中心に四角い穴の空いた四角い板状の大工道具で、和釘を抜くのに用いる。三井ではもともと釘抜紋を使っており、高利の長兄俊次としつぐの店も、開業当初の高利の越後屋も同様であった。寛永年間、俊次は多くの伊勢商人の進出しつつあった新天地江戸に店を出し、本町一丁目、二丁目、四丁目で呉服業と小間物業を営んだ。高利も14歳で俊次の店に勤め、商人としての頭角をあらわしていく。

6 万借帳

6 万借帳

万借帳
三井高利筆
江戸時代・寛文9年(1669)
縦 15.6 横 22.8
三井文庫

Yorozu-Kari-Cho, Books, Accounting and Other Materials
By Mitsui Takatoshi
Edo period, 1669
Mitsui Bunko

高利は28歳のときに母殊法しゅほうの面倒を見るため松坂に戻り、金融業を始める。これは高利の松坂時代の自筆帳簿である。領主である紀州徳川家などへの大名貸、周辺村々への貸付、松坂を中心とする商人との貸借関係など、高利の金融活動の様子を垣間見られる。なお、殊法は丹生にうの商家・永井ながい家の出身で、商売を顧みない夫高俊たかとしにかわり三井の商売を盛り立て、子どもたちを優秀な商人へと育て上げた。三井家商いの元祖と評されている。

7 万覚帳よろずおぼえちょう

7 万覚帳

万覚帳よろずおぼえちょう
三井高利筆
江戸時代・寛文11年(1671)
縦 14.4 横 20.0
三井文庫

Yorozu-Oboe-Cho, Books, Accounting and Other Materials
By Mitsui Takatoshi
Edo period, 1671
Mitsui Bunko

万借帳と同じく高利自筆の帳簿であり、大名貸しや村々への貸付などが記入されている。取引の増加を見越して、万借帳の内容を整理し、新しく作成されたものと考えられている。高額な貸付も確認でき、紀州徳川家に金2,800両を貸し付けるケースもある。高利は松坂での金融業で財産を蓄積しつつ、子どもたちを江戸に送り商人として研鑽を積ませた。帰郷から越後屋創業まで24年、松坂時代は江戸出店のための雌伏のときであった。

8 十徳じっとく

8 十徳8 十徳
8 十徳8 十徳

十徳じっとく
三井高利所用
江戸時代・17世紀
縦 98.5 横 131.5
三井文庫

Takatoshi’s Jittoku; Japanese Jacket
Edo period, 17th c.
Mitsui Bunko

十徳は紗などの薄物で作られる外出着で、江戸時代には儒者や医師・絵師などが多く用いた。綸子りんず(綾子)製と伝わる通り、薄手の羽織物となっている。付属文書より、高利の十七回忌を機に、越後屋呉服店の大番頭を務めた中西宗助なかにしそうすけ(1676~1733)へ贈られたものと知られ、同時に「丸頭巾」「沓足袋」を受け取ったことも分かる。ただし、この頭巾や足袋が、松寿院殿御形見箱の内容物と同一であるかは定かでない。

9 足袋たび足袋沓たびくつ手袋てぶくろ

9 足袋・足袋沓・手袋9 足袋・足袋沓・手袋
9 足袋・足袋沓・手袋
9 足袋・足袋沓・手袋9 足袋・足袋沓・手袋

足袋たび足袋沓たびくつ手袋てぶくろ
三井高利所用
(足袋)全長 23.8、(足袋沓)全長 30.2、(手袋)全長 33.4
江戸時代・17世紀
三井記念美術館(北三井家旧蔵)

Takatoshi’s Gloves, Tabi and Tabikutsu; Japanese Socks and
roomshoes
Edo period, 17th c.
Mitsui Memorial Museum

松寿院殿御形見箱に納められた高利の遺品。付属の文書には「足袋沓たびくつ」とあるが、地下足袋のような外履きではなく、現在の靴下に相当する、防寒用の室内履きと考えられる。足袋沓の内側にはクッション性に富む綿の上に絹を敷き、非常に肌触りが良い。足袋はさほど大きくなく、高利が当時の男性の平均的体格であったことが想像される。同じ箱には頭巾(損傷が進み繊維のみ残存)、メリヤス編みの手袋が納められ、冬の底冷えから身体を守る高利の姿が目に浮かぶようである。

10 染付花文小壺そめつけかもんこつぼ

10 染付花文小壺

染付花文小壺そめつけかもんこつぼ
三井高利所用
明時代・17世紀
総高 7.0 胴径 7.4
三井文庫

Small jar with flower in Sometsuke style Underglaze Blue
Ming dynasty, 17th c.
Mitsui Bunko

三井高利が使用したとされる染付の小壺で、蓋が付いている。牡丹のような花が描かれているが、口周辺に釉はげの「虫食い」が見られ、中国の景徳鎮民窯で焼かれた古染付であろうか。何に用いたのかはよくわからないが、このような小さな器を大事に使っていたところから、高利は意外に細やかな性格だったかもしれない。

11 褐釉鳥形水滴かつゆうとりがたすいてき

11 褐釉鳥形水滴

褐釉鳥形水滴かつゆうとりがたすいてき
三井高利所用
17世紀
総高 4.0 長径 4.9
三井文庫

Brown Glazed Water Dropper, in the shape of a Bird
17th c.
Mitsui Bunko

鳥をかたどった水滴と思われるが、これも三井高利が使用したものとして伝わっている。日本のものではなさそうで、中国あるいは東南アジアのものであろうか。およそ高級な陶磁器とはいえないが、どこか愛嬌のあるもので、高利お気に入りの水滴だったのであろう。

12 屋島合戦図やしまかっせんず

12 屋島合戦図12 屋島合戦図
12 屋島合戦図12 屋島合戦図

屋島合戦図やしまかっせんず
三井高利所持
土佐光信とさみつのぶ
室町~桃山時代・14~16世紀
縦 30.2 横 43.6
三井記念美術館(室町三井家旧蔵)

The Battle of Ymashima
Attributed to Tosa Mitsunobu
Muromachi-Momoyama periods, 14-16th c.
Mitsui Memorial Museum

平家物語の「扇の的」で知られる、那須与一なすのよいちの一場面を主題とし、右上には義経・弁慶らと思しき武者たちも描かれる。彩色の一部や金箔は後補の可能性もある。本作の内箱には享保元年(1716)筆の紙片が付属し、それによれば高利が生前、四男で室町三井家初代・高伴たかとも(1659~1729)に形見として与えたのがこの一幅という。先祖が近江源氏の六角ろっかく氏に仕えたと伝わる三井家の人々にとって、源氏を描いた絵かつ、高利の形見である本作は特別な意味を持ったことであろう。

13 三井高利消息みついたかとししょうそく 六月廿七日三井四郎右衛門(高伴)宛

13 三井高利消息 六月廿七日三井四郎右衛門(高伴)宛

13 三井高利消息六月廿七日三井四郎右衛門(高伴)宛

三井高利消息みついたかとししょうそく 六月廿七日三井四郎右衛門(高伴)宛
三井高利
江戸時代・延宝4年(1676)頃
縦 15.0 横 47.3
三井記念美術館(室町三井家旧蔵)

Letter
By Mitsui Takatoshi
Edo period, Around 1676
Mitsui Memorial Museum

三井高利から四男高伴たかともに宛てて出された書状。高伴への意見やいくつかの連絡事項などを盛りこんでいる。高伴への意見では、江戸店では随分店前売に励んでいるとのことなので高伴もしっかりやること、どれほどの安売りになってもかまわないこと、棚1間で銀1,000貫目の売り上げをできるような商いの相談すること、などが盛りこまれている。販売の最前線に立つ子どもたちを叱咤する高利の様子がうかがえる。

14 宗寿御自戒書そうじゅおんじかいしょ

14 宗寿御自戒書

14 宗寿御自戒書

宗寿御自戒書そうじゅおんじかいしょ
三井高利
江戸時代・貞享5年(1688)
縦 25.5 横 52.5
三井記念美術館(北三井家旧蔵)

Admonition Note
By Mitsui Takatoshi
Edo period, 1688
Mitsui Memorial Museum

高利が一族に示した訓誡書くんかいしょの写し。原本は残っていない。大元方や各店舗などに写本があり、寄会よりあい(会議)の際に掛けられた。儒教の基本書「大学だいがく」「中庸ちゅうよう」から抜き出した一節や、菅原道真の歌を改変した歌などからなる。大勢の人の指摘するところは慎むこと、知らないことに戒慎恐懼かいしんきょうくする気持ちを忘れないこと、誠実であれば頼まずとも人は守ってくれること、心は鏡のように曇りないようにすること、家業に励むこと、などの内容を盛りこむ。

15 寿讃消息じゅさんしょうそく 正月十五日三井次郎右衛門(高伴)宛

15 寿讃消息 正月十五日三井次郎右衛門(高伴)宛

15 寿讃消息 正月十五日三井次郎右衛門(高伴)宛

寿讃消息じゅさんしょうそく 正月十五日三井次郎右衛門(高伴)宛
三井かね(寿讃)
江戸時代・元禄初期(1688~1695)
縦 14.7 横 91.6
三井記念美術館(室町三井家旧蔵)

Letter
By Mitsui Kane
Edo period, Around 1688-1695
Mitsui Memorial Museum

三井高利の妻かね(寿讃・1635~1696)から四男高伴への書状。高伴から届いた年始の手紙への返礼である。高伴からの便りがいつもより早く届いて嬉しいこと、兄弟たち自分たちも親類たちも皆元気に年を越せて嬉しいこと、旧年中は高伴も棚商たなあきない店前売たなさきうり)を随分励んだとのことで嬉しく喜んでいること、などを書き連ねる。「うれしい」「めでたい」「よろこび」というフレーズが頻出し、寿讃の子どもたちへの思いがあふれ出ているようにみえる。

16 御所車蒔絵硯箱ごしょぐるままきえすずりばこ

16 御所車蒔絵硯箱16 御所車蒔絵硯箱
16 御所車蒔絵硯箱16 御所車蒔絵硯箱

御所車蒔絵硯箱ごしょぐるままきえすずりばこ
三井かね(寿讃じゅさん栄昌院えいしょういん)所用
江戸時代・17世紀
縦 24.5 横 22.5
三井記念美術館(新町三井家旧蔵)

Inkstone Box with Ox cart design in Maki-e
The keepsake from Mitsui Kane
Edo period, 17th c.
Mitsui Memorial Museum

三井高利の妻かね(寿讃・1635~1696)が用いた蒔絵の硯箱。この硯箱は新町三井家に伝わったもので、箱書には「栄昌院様御遺物」とある。栄昌院はかね(寿讃)の院号であり、新町三井家にかねの遺物として伝来したことがわかる。方形・丸角・合口造り、甲盛りがあり、梨子地に御所車が蒔絵で表わされている。内側は紅葉したもみじが蒔絵で表されており、筆架式ひっかしきで銀製扇形水滴おうぎがたすいてきと硯が納められている。

17 朱塗福寿玉絵二枚重盃しゅぬりふくじゅたまのえにまいかさねはい

17 朱塗福寿玉絵二枚重盃17 朱塗福寿玉絵二枚重盃
17 朱塗福寿玉絵二枚重盃17 朱塗福寿玉絵二枚重盃

朱塗福寿玉絵二枚重盃しゅぬりふくじゅたまのえにまいかさねはい
三井高平たかひら宗竺そうちく)書・三井高房たかふさ宗清そうせい)絵
江戸時代・18世紀
福(小)高 4.0 口径 14.3
寿(大)高 4.3 口径 15.7
三井記念美術館(北三井家旧蔵)

Set of Red-Lacquered Sake Cups with Hoju(Sacred pearl)
and letter of“Fuku-Ju” design in Maki-e
By Mitsui Takahira and Mitsui Takafusa
Edo period, 18th c.
Mitsui Memorial Museum

朱漆塗り二枚重ねのさかずきで、福寿の文字と玉の絵が金銀の蒔絵で表されている。北三井家八代・高福たかよしの箱書によれば、福寿の文字が北三井家二代・高平(宗竺)の筆で、玉の絵が三代・高房(宗清)の筆とされている。親子の合作である。玉の絵は全ての願いが叶うという如意宝珠にょいほうじゅで、商人らしい願いのこもった盃である。三井家ではこのような縁起の良い意匠が好まれ、祝儀の折などに作られたものが伝世している。

18 島台寿老人像しまだいじゅろうじんぞう 宗竺翁八十賀

18 島台寿老人像 宗竺翁八十賀

島台寿老人像しまだいじゅろうじんぞう 宗竺翁八十賀
江戸時代・享保17年(1732)
総高 35.4
三井記念美術館(北三井家旧蔵)

Doll of Jurojin with ornamental stand
A souvenir made to celebrate Takahira’s 80th birthday
Edo period, 1732
Mitsui Memorial Museum

箱書に「宗竺様八十御賀嶋䑓ニ乗 寿老人 鶴 亀」と記されており、北三井家二代・高平(宗竺)の80歳のお祝いに誂えられたものとわかる。80歳は享保17年(1732)にあたる。台の上に寿老人と鶴・亀が据えられているが、この台は全体で蓬莱山をイメージした島台しまだいとなっている。各所に経年による傷みはあるが、寿老人の衣装は豪華なもので、300年近く前の人形としてはよく残されてきたと言え、大切にされてきたことがわかる。

 

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