第Ⅱ章 三井家創業期の歴史と事業
創業期の越後屋は、高利の全体指揮の下、高利の息子たちが実務を担いました。店頭での現金定価販売などのサービスが江戸住民のニーズにあって繁盛し、天和3年(1683)には駿河町に移転して両替店も併設します。元禄期には幕府の呉服御用や為替御用を請け、江戸・京都・大坂の三都に店を構え、自他ともに「日本一の商人」と認める存在になりました。高利はそれを見届け、73歳で亡くなります。高利没後、息子たちやベテラン奉公人が商売をもり立てますが、享保期に事業のあり方や次世代への継承などの課題に直面します。三井では統轄機関「大元方」や家法「宗竺遺書」をはじめとする家と事業を一体的に管理するしくみを整えて、危機を克服し次の元文期に急成長を遂げます。
19 松坂人別帳
松坂人別帳
江戸時代・18世紀
縦 23.4 横 16.9
三井文庫
Matsusaka-Ninbetsucho, Family Registry of Mitsui family
Edo period, 18th c.
Mitsui Bunko
寛文5年(1665)から寛政8年(1796)まで、三井同族の名前・年齢・所在地を列記した記録である。三井は松坂が本籍地であったため、一族は松坂の住民として登録されていた。この史料の内容は、宗門人別帳などから必要な情報を書き写したものと思われる。高利や子どもたちの所在地を一覧して把握できるため、いつ誰がどこにいたのかを確認するうえで参考になるが、記載漏れも多いため注意は必要である。
20 松坂図
松坂図
大正3年(1914)写
縦 94.0 横 104.0
三井文庫
Map of Matsusaka Castle Town
Taisho period, 1914
Mitsui Bunko
江戸時代の松坂城下を描いたと思われる絵図。江戸時代、松坂には三井11家(後述)のうちの2家と松坂店があった。居宅・店を構えていたのは松坂城に通じる大手通と伊勢街道の交差する場所で、松坂城下の中心であった。この付近には江戸時代、伊豆蔵や小野田など多くの伊勢商人が住んでいた。また、長谷川や小津といった伊勢商人の建物は今も残る。現在、三井の居宅跡から伊勢街道を挟んだ対面には三井発祥地があり三井の痕跡を今に伝える。
21 諸法度集
諸法度集
三井高利
江戸時代・延宝元年(1673)
縦 28.0 横 19.5
三井文庫
Sho-Hatto-Sh?, The Rules for the First Stores in Edo
By Mitsui Takatoshi
Edo period, 1673
Mitsui Bunko
当時松坂にいた三井高利が、江戸本町一丁目店の奉公人らにあてて出した規則集。延宝元年8月、同3年8月、同4年7月の3つの規則が収められており、越後屋創業が延宝元年であることを直接確認できる唯一の史料である。高利が江戸に送った規則を江戸店で書写し、奉公人が連判して京都店に送ったものと思われる。延宝改元は9月だが、松坂から江戸に送る過程で改元したため、清書時に「延宝元年八月」としたものと推測されている。
22 宗寿直筆出入帳
宗寿直筆出入帳
三井高利
江戸時代・延宝7年(1679)
縦 7.3 横 17.0
三井文庫
Books, Accounting and Other Materials
By Mitsui Takatoshi
Edo period, 1679
Mitsui Bunko
高利の金銀出納に関する自筆の帳簿である。上の写真、開いている左のページに「イセマツサカヱチウシ」というカタカナの羅列が見えるだろうか。これは符帳という一種の暗号で、数字の1~10をカタカナに置き換えるものである。江戸時代の有力商家はそれぞれの符帳を持っていた。三井もいくつかの符帳を用いているが、ここにある符帳を最も利用していた。開業6年経った段階で、すでに高利がこの符帳を使っていたか、その構想を持っていたことがうかがえる。
23 宗感覚帳
宗感覚帳
三井高好
江戸時代・天和3年(1683)
縦 9.8 横 20.5
三井文庫
Sokan-Oboe-Cho, Memorandum of Store Management in Edo
By Mitsui Takayoshi
Edo period, 1683
Mitsui Bunko
高利六男高好(宗感・1662-1704)の作成した記録。江戸店が本町一丁目から駿河町に移転した天和3年(1683)から貞享3年(1686)頃までの規則などが書かれている。店の売場、仕入・販売、奉公人のみならず、周辺の呉服仲間の情報も記載されており、当時の江戸店の様子などをうかがえる。上の写真で開いているのは店の消耗品に関する箇所で、1年の必要量を米200石で銀10貫目、味噌・塩で銀1貫目、などと細かく見積もっている。
24 日本永代蔵
日本永代蔵
井原西鶴
江戸時代・貞享5年(1688)
縦 25.1 横 17.7
三井文庫
Nippon-Eitaigura, Novels about Rise and Fall of Merchants
By Ihara Saikaku
Edo period, 1688
Mitsui Bunko
井原西鶴(1642~1693)の発表した江戸時代のビジネス小説。知恵と才覚によって長者となる町人の生活などを描く。このなかに、現金掛け値なしなどの商売で成功し、日本一の大商人となった「三井九郎右衛門」という人物が登場する。九郎右衛門という名前は実在しないが、明らかに三井をモデルにした内容である。本町一丁目に開業してわずか15年、三井の商売は小説の題材に取りあげられるほど衝撃的だったのである。
25 本因坊道悦旧蔵碁笥
本因坊道悦旧蔵碁笥
江戸時代・宝永6年(1709)
総高 8.8 胴径 11.3
三井記念美術館(北三井家旧蔵)
Go Bowl
By Hon’inbo Doetsu
Edo period, 1709
Mitsui Memorial Museum
貞享4年(1687)、三井家は幕府の御用商人となった。この抜擢を時の将軍・徳川綱吉に進言した側用人・牧野成貞と、三井家との間を結んだのが、三井と同郷の松坂出身で、本因坊三世の道悦(1636~1727)であったとされる。本品はその道悦から、囲碁好きの北三井家二代・高平への贈答品で、両者の縁を物語る資料として貴重なもの。宝永5年(1708)、本因坊ゆかりの寂光寺にある白檀の老木が焼け、翌年に道悦がその古材で作った11双の碁笥のうちの一つである。
26 本因坊道悦旧蔵碁盤
本因坊道悦旧蔵碁盤
江戸時代・正德5年(1715)
縦 44.6 横 44.7 総高 24.3
三井記念美術館(新町三井家旧蔵)
Go Board
By Hon’inbo Doetsu
Edo period, 1715
Mitsui Memorial Museum
本因坊道悦旧蔵の碁盤で、裏に正徳5年(1715)9月13日の日付と花押を記すほか、本因坊道悦旧蔵碁笥と同品の碁笥が1双付属する。「富山 長左衛門」の箱書より、過去に伊勢商人の富山家に伝わったと知られる。東京大学・村和明氏のご教示に拠れば、綱吉の側用人・牧野成貞は囲碁好きで知られ、牧野と懇意の道悦を頼り、三井家以外の伊勢商人も接近を試みていたとされる。新町三井家九代・高遂による大正15年(1926)の購入品。
27 宗寿様御筆之軸
宗寿様御筆之軸
三井高利
江戸時代・17 世紀
縦 165.0 横 56.0
三井文庫
Letter
By Mitsui Takatoshi
Edo period, 17th c.
Mitsui Bunko
高利が脇田藤右衛門(後述)ら江戸本店の重役にあてた書状である。写しであり原本は失われている。現存する高利の残した書状のなかでも特に情報量が多い。内容もユニークで、古い規格の唐臼を大坂唐臼の棹の長さに変えると得をするとか、千石通し・油・蕎麦切り・きなこ・風呂湯の無駄のない使い方、畳の古い縁の活用方法など、店の消耗品に関する種々の節約方法を伝授している。ものを大事にしたと伝わる母殊法のDNAを感じさせる。
28 紀州御用木札
紀州御用木札
縦 96.0 横 13.5
江戸時代・19 世紀
三井文庫
License Plates to Identify Kishu Tokugawa
Edo period,19th c.
Mitsui Bunko
三井は幕府の呉服御用や御為替御用を引き受けていたが、大名の御用なども引き受けていた。たとえば、紀州徳川家の用いる呉服類を江戸に輸送する御用を命じられており、京都屋敷から江戸屋敷に送る荷物、年間25駄分の絵符(木札)を与えられていた。納入する荷物に絵符を掲げることで、通行上の特権が付与された。原則、絵符を使用できるのは御用荷物に限られていたが、ほかの商用荷物を加えて送ることもあったという。
29 禁裏御用絵符
禁裏御用絵符
縦 40.0 横 9.0
江戸時代・19 世紀
三井文庫
License Tags to Identify Feudal Lords Proteges
Edo period,19th c.
Mitsui Bunko
これは禁裏御用に用いた木札で、大きく菊の紋が描かれている。宮中に納める呉服や金銀を輸送する際に用いたものと思われる。三井の引き受けた禁裏御用には、たとえば禁裏御所の作事に際し、幕府の大坂御金蔵から建築費用を引き受け、必要に応じて支払う御用があった。この御用は、のち明治維新後に新政府御用を引き受ける前提ともなった。
30 元文元年大坂本店引札版木
元文元年大坂本店引札版木
大坂本店
江戸時代・元文元年(1736)
縦 19.0 横 28.0 高 3.0
三井文庫
Wooden Advertising Board Bill
Osaka-Hondana, Mitsui Kimono Shop in Osaka
Edo period, 1736
Mitsui Bunko
大坂本店の引札(宣伝広告)の版木。三井では元文元年(1736)の貨幣改鋳の際に大安売りを行って成功し、莫大な利益を得た。そのイベント告知のため、三井は引札を大量に刷って大坂市中に配布した。この版木は元文元年の大安売りを支えた存在といえる。三井は駿河町移転時に江戸中に引札を配ったといわれるが、幕末期の写しがあるのみで現物は存在しない。この元文元年の引札は、作成年のはっきりした最も古い引札である。
31 大福帳
大福帳
大坂両替店
江戸~明治時代・18~19世紀
縦 16.2 横 23.3 高 23.4
三井文庫
General Accounting Ledger
Osaka-Ryogaedana, Mitsui Money Changer in Osaka
Edo-Meiji period, 18-19th c.
Mitsui Bunko
大坂両替店の帳簿の一種で、現在の総勘定元帳にあたる。勘定科目ごとに日々のお金の出入りを記録する。半年に一回作成されており、一部欠本はあるものの宝暦4年(1754)から明治6年(1873)まで160冊現存する。京両替店と江戸両替店でも作成されていたが現存するものは少ない。この大福帳は三井文庫の書庫の一角を占めるが、分厚い帳簿が棚一面に並ぶ姿は壮観であり、視覚的にも三井の取引規模の大きさを物語っている。
32 素銅製千両箱
素銅製千両箱
京両替店
江戸時代
縦 25.0 横 27.5 高 19.8
三井文庫
Copper Chest for Gold Coins, 1000 ryo
Kyo-Ryogaedana, Mitsui Money Changer in Kyoto
Edo period
Mitsui Bunko
千両箱というと直方体の木箱をイメージするかもしれないが、これは円筒形の素銅製千両箱である。江戸時代の商家には穴蔵と呼ばれる地下倉庫があり、商品や金銀、家財等を災害などから守るためや、緊急用の金銀を保管するためなどに用いていた。この千両箱は京両替店のもので、穴蔵に収めていたといわれる。金属製の容器に1,000両の金貨が入ると相当の重さになるため、万力という滑車付の上げ下ろし道具で出し入れしていた。
33 天秤
天秤
江戸両替店
江戸時代
縦 25.5 横 72.5 高 75.0
Measuring Scale of Exchange Store
Edo-Ryogaedana, Mitsui Money Changer in Edo
Edo period
Mitsui Bunko
江戸時代の日本では金・銀・銭の三貨が流通していた。このうち金・銀の交換は欠かせず、その業務に天秤は必須であった。天秤は両替商を象徴する道具でもあった。この天秤は三井の江戸両替店で使っていたものといわれている。左右の釣合を見るための針口と呼ばれる指針があり、秤が平衡すると上下の針が揃うしくみになっている。そのためこの天秤を針口天秤ともいう。摩擦で針口が動かない時は小槌で支点を叩いて調整した。
34 大元方勘定目録
大元方勘定目録
大元方
江戸~明治時代・18~19世紀
縦 16.4 横 48.0
三井文庫
Accounts Ledgers for Omotokata
Omotokata, Head Office of Mitsui
Edo-Meiji periods, 18-19th c.
Mitsui Bunko
近世三井の総決算帳簿。三井の全事業の資産と収支を記載したものである。三井の家と事業を統轄する「大元方」で年に2回作成しており、宝永7年(1710)から明治6年(1873)まで約160年分の記録が残っている(一部欠本あり)。大元方の資本、資産、負債の傾向などの変化を追える、事業に関する最重要史料のひとつである。一冊ずつ紙包みに入れ、約10冊ずつ木箱に収納して保管しているため、昨日作られたかのような良好な保存状態のものが多い。
35 三井高利夫妻像
三井高利夫妻像
山本宗川筆
江戸時代・享保16年(1731)
縦 33.3 横 74.6
三井文庫
Portrait of Mitsui Takatoshi and Kane
By Yamamoto Sosen
Edo period, 1731
Mitsui Bunko
高利没後に描かれた三井高利夫妻像の高利は晩年に描かれた写実的な姿、こちらは三井高利夫妻像を基に「創られた」姿である。かなり柔和な容姿に改変され、理想化された経営者像ともいえる。三井が体制整備する時期に三井創業者として象徴的に描かれたものといえる。複数作成され、三井家のうち本家6家に配られた。展示品は新町三井家に伝わったものである。
36 書置之次第(宗寿居士古遺言)
書置之次第(宗寿居士古遺言)
三井高利
江戸時代・元禄7 年(1694)
縦32.5 横118.0
三井文庫
Sojyu-Koji-Koyuigen, The Last Will and Testament of Mitsui Takatoshi
Edo period, 1694
Mitsui Bunko
三井高利の遺書。清書されたものであり高利自筆ではない。内容はシンプルで、教訓めいたことは書かれておらず、息子たちや妻寿讃らへの遺産分配方法を提示しているのみである。例えば、遺産全体を70とし、29を長男高平に、13を次男高富に、といった具合であり、配分比率の下の署名部分にそれぞれの印鑑と花押を押している。遺産の4割以上が高平に配分されており、長男の地位の高さをうかがえる。
37 一札
一札
三井高富など
江戸時代・元禄7年(1694)
縦 30.0 横 100.0
三井文庫
Issatsu, The Agreements of Mitsui Takatoshi’s children
By Mitsui Takatomi etc.
Edo period, 1694
Mitsui Bunko
宗寿居士古遺言と対になる記録。高利の遺書に対する子どもたちの意思表明であり、高利の築き上げた資産や事業・店舗を分割せず、一体として子ども世代で継承して事業を続けること、高平を親と思い兄弟一同その指示に従うことなどを誓約している。兄弟たちが署名捺印のうえで高平に提出し、さらに高利も了承した旨署名捺印している。のちの財産共有制の原型はこの段階で設定されたものともいえる。
38 高富草案
高富草案
三井高富
江戸時代・宝永4年(1707)
縦 23.8 横 16.9
三井文庫
Takatomi-Soan, Draft of the Mitsui Family Code
By Mitsui Takatomi
Edo period, 1707
Mitsui Bunko
高利次男・高富(1654~1709)の作成した家法の草案である。9冊からなり、全体を総称した原題が無いことから三井文庫では「高富草案」と仮称している。高安に始まる三井家の歴史、事業の来歴と方針、財産共有制など多岐にわたる。異なる部分は多いものの、のちの家法宗竺遺書はこの内容や考え方を継承・発展させたものといえる。
39 宗竺遺書
宗竺遺書
三井高平
江戸時代・享保7年(1722)
縦 28.9 横 20.6
団体蔵
Sochiku-Isho, The Last Will and Testament of Mitsui Takahira
By Mitsui Takahira
Edo period, 1722
Private Collection
三井高平の古稀に遺書の形で定められた、江戸時代における三井家の家法である。三井家を9家とし(のち2家追加し三井11家となる)、身上一致(財産共有制)の原則を定めるなど、三井の家と事業の根幹を規定した。三井の統轄機関「大元方」の寄会(会議)で朗読され、三井家の内紛や幕末の動乱期といった危機的状況下では立ち返る原則ともされた。明治33年(1900)に「三井家憲」が制定されるまで三井の最高規範であった。
40 三井高平画像
三井高平画像
江戸~明治時代・18~19世紀
縦 72.6 横 33.2
個人蔵
The Portrait of Mitsui Takahira
Edo-Meiji periods, 18-19th c.
Private Collection
三井高平(1653~1737)は高利長男で、北三井家(総領家)二代目当主である。15歳で江戸の伯父俊次の店に勤め、延宝元年(1673)の越後屋開業時には京都の仕入店で仕入業務にあたった。享保4年(1719)、三井家の「親分」に就任し三井同族を束ねる。元禄15年(1702)に隠居し剃髪し「宗竺」と名乗る。長男ながら長命で、次男以下の兄弟やベテラン重役が亡くなるなかで次世代への家業継承に取り組んだ。なお、本作は後代の写しで、原本は焼失した旨が箱の貼札に記される。
41 家伝記
家伝記
江戸時代・享保7年(1722)
縦 29.6 横 21.0
三井文庫
Kaden-Ki, The Memoirs of the House of Mitsui in the 17th century
Edo period, 1722
Mitsui Bunko
三井家の来歴をまとめた記録で、高安から始まる三井家の家系や、高利と寿讃の事業・言行を記す。高富草案に依拠している内容は多いものの、創業期の三井家の歴史を把握する基礎史料の一つである。「家伝記」は享保7年(1722)に宗竺遺書、商売記と同時に作成された。享保期は三井の体制整備の時期であり、家と事業を次世代に継承する取り組みのなかで作られた。
42 商売記
商売記
三井高治
江戸時代・享保7年(1722)
縦 29.5 横 20.8
三井文庫
Shobai-ki, The Memoirs of Mitsui’s Business History in the 17th century
By Mitsui Takaharu
Edo period, 1722
Mitsui Bunko
高利三男高治(1657~1726)の著した記録。高治は新町三井家の初代当主である。創業期の三井の家と商売の歴史を詳細に記す。高利の遍歴、越後屋創業までの経緯、越後屋の商売の工夫とともに、高利・寿讃の言行とされる内容も含む。高利の祖父高安や父高俊・母殊法の事績についても触れる。高安や殊法に関する記述は商売記以外にほとんど残っていないため、創業以前の三井を語る上でも特に欠かせない史料となっている。
43 宗寿居士由緒書
宗寿居士由緒書
三井高伴
江戸時代・享保14年(1729)
縦 31.3 横 24.2
三井文庫
History Book of Mitsui Takatoshi
By Mitsui Takatomo
Edo period, 1729
Mitsui Bunko
高利四男・高伴(1659~1729)の著した記録。掲載しているのはその写しである。高利の事績や、幕府の御用を命じられた際の経緯について詳しい。高伴は室町三井家の初代当主で、本町二丁目に店を新設した際、高伴は高富とともにその店の業務を担う。多くの時間を江戸で過ごしたが、宝永5年(1708)に上京して以後、京住いとなる。商売記では「天性実体」であり、無駄遣いもせず、工夫を重ね江戸では第一の働きがあったとされている。
44 此度店々江申渡覚
此度店々江申渡覚
三井高富
江戸時代・宝永年間(1704~1711)
縦 15.2 横 21.0
三井文庫
The Rules for Stores in Edo
By Mitsui Takatomi
Edo period,1704-1711
Mitsui Bunko
高利次男・高富の著した店舗向けの分厚い規則集。各店舗の事業内容を定めており、重役の職掌、商品の等級、書類の取り扱いなど、内容はきわめて多岐にわたる。当時の各店舗の様子を詳細に伝える貴重な資料である。この記録の作成された時期、三井では統轄機関「大元方」の創設や総決算帳簿大元方勘定目録の作成方法の確立など、次世代への事業継承に向けて体制を急速に整備していた。この記録もその中で作成されたものである。
45 中西宗助覚
中西宗助覚
中西宗助
江戸時代・享保2年(1717)
縦 31.4 横 23.9
三井文庫
Nakanishi-Sosuke-Oboe, The Memoir and Proposal of Chief
Manager Nakanishi Sosuke
By Nakanishi Sosuke
Edo period, 1717
Mitsui Bunko
中西宗助(1676~1733)は越後屋の奉公人で、脇田藤右衛門らとともに創業期の三井を支えた重役の一人である。特に三井家と事業の統合や、三井の枠組みの確立などに尽力し、多くの成果を挙げた。死後その功績により三井姓を許されている。この史料は中西が高平ほか主要な三井同族に宛てて提出した建言書である。京都店と江戸店との対立、木綿店部門の独立志向など、当時抱えていた問題を解消するための改革案であった。
46 脇田藤右衛門控
脇田藤右衛門控
脇田藤右衛門
江戸時代・享保13年(1728)
縦 27.4 横 20.4
三井文庫
Wakita-Toemon-Hikae,The Memoirs of Wakita Toemon, Chief Manager
By Wakita Toemon
Edo period, 1728
Mitsui Bunko
三井初期の重役脇田藤右衛門の記した記録。本町一丁目で創業した越後屋は同業者の嫌がらせなどにより天和3年(1683)に駿河町に移転する。脇田は移転当時の支配人だった。この史料は享保13年(1728)頃、三井の統轄機関「大元方」からの要請に応じて提出した、三井創業期の沿革を記した貴重史料である。江戸の各店舗の開店年代や概略を記しており、創業当時や駿河町移転時の店舗規模・奉公人名・人数などもわかる。本展示では後年の写しを用いた。
47 三井高房画像
三井高房画像
江戸時代・18世紀
縦 79.0 横 37.2
個人蔵
The Portrait of Mitsui Takafusa
Edo period, 18th c.
Private Collection
三井高房(1684~1748)は三井高平の長男で、北三井家三代目当主。18歳のとき御為替御用を命じられ、以後為替業務など事業全般に関わる。享保元年(1716)に八郎右衛門を襲名し、三井を代表する立場になる。宗竺遺書で9家とされた三井家に2家追加し三井11家を確立させる。5家に子どもらを養子に入れ、三井一族内の影響力も強めた。また茶道、香道、絵画、信仰、歌、文筆等にも才能を発揮した。
48 町人考見録
町人考見録
三井高房
江戸時代・享保後期(1730年代)
縦 26.0 横 18.0
三井文庫
Chonin-Koken-Roku, The Memoir of Rise and Fall of Large
Merchants in the Early 18th Century
By Mitsui Takafusa
Edo period, 1730s
Mitsui Bunko
元禄~享保期頃の有力京都町人の盛衰記。中西宗助のすすめで、父高平の見聞した内容を高房がまとめたもの。全三巻から成り、流暢な文体で記される。約50件の商人の様子が描かれ、その多くは、大名貸や投機的商売、遊芸や過度の信仰などによって没落する。次世代の三井同族や奉公人への戒めとして作成された。多くの写本が作成されており、三井内部だけでなく同業者などにも流布したものと思われる。
49 江戸本店本普請画図面
江戸本店本普請画図面
江戸時代・天保3年(1832)
縦 133.0 横 151.0
三井文庫
Miniature Architectural Paper craft of Mitsui-Echigoya in Edo
Edo period, 1832
Mitsui Bunko
越後屋の江戸の呉服店である江戸本店の絵図。起こし絵図と言われる立体模型である。建物内部の部署の配置や、部分的な外観を同時に見られる珍しい資料である。江戸本店は少しずつ敷地を拡大し、間取りも改修を加え、徐々に形作られた。天保年間の江戸本店の間口は36間(約65m)に及び、他の呉服店でも同規模の店は大丸と岩城枡屋などわずかであった。暖簾が紺色でなく柿渋色だが、起こし絵図で用いる塗料の都合なのか、実際に柿渋色の暖簾が用いられることもあったのか判然としない。
50 江都京都浪花三店絵図
江都京都浪花三店絵図
江戸時代・19世紀
(各)縦 103.0 横 25.0
三井文庫
The Picture of Echigoya in Edo, Kyoto and Osaka
Edo period, 19thc.
Mitsui Bunko
京都・江戸・大坂(三都と総称される江戸時代の三大都市)の越後屋を一幅一店ずつ描いたもの。左から大坂・江戸・京都である。巨大な店舗、目立つ暖簾、大勢の訪問者など、販売店である江戸・大坂の店舗の賑やかな様子がうかがえる。一方、仕入店兼事業本部である京都店(京本店)は、暖簾に大きな印を染め抜かれることもなく一見地味である。京都店の絵画はほとんど残っていないため、店頭の様子を垣間見られる貴重な資料でもある。
51 浮絵駿河町呉服屋図
浮絵駿河町呉服屋図
歌川豊春画
江戸時代・18世紀
縦 26.0 横 38.5
三井文庫
The Inner Part of Echigoya
By Utagawa Toyoharu
Edo period, 18thc.
Mitsui Bunko
浮絵とは、西洋の透視図法を取り入れ、遠近を誇張して建築やその内部を描く手法で、大勢の客で賑わう越後屋の江戸本店が描かれる。外の暖簾や中の看板には「現金掛値なし」の文字が見え、この手法が当時、いかに画期的であったことを物語っている。店内には多数の売場があり、天井からは売場担当者の名前を記す札や、衣類の見本が吊り下げられる。間口は最大規模で東西約65 メートルにも及ぶ、大都市にふさわしい巨大店舗であった。
52 毛類直打帳
毛類直打帳
京本店
江戸時代・18~19世紀
縦 15.8 横 24.4 高 27.3
三井文庫
Sample Book of Woolen Fabric
Kyo-Hondana, Mitsui Echigoya in Kyoto
Edo period, 18-19thc.
Mitsui Bunko
越後屋の京本店は、海外から長崎に持ち込まれた輸入衣料品(唐物、長崎物)も取り扱っていた。京都の長崎問屋などから仕入れつつ、長崎に買付人を置いて直接仕入もしていた。この史料は、越後屋の入手した毛織物の記録である。取得した日付、品目、等級、分量、寸法、価格などが記載され、毛織物の端切れも貼り付けてある。端切れは黒、赤、黄、緑など様々で、文字情報だけでは理解しづらい商品の風合いもよくわかる珍しい史料である。
53 南蛮屏風
南蛮屏風
江戸時代・17世紀
(各)縦 158.5 横 364.0
三井記念美術館
Namban Screens, Arrival of Westerners
Edo period, 17thc.
Mitsui Memorial Museum
南蛮屏風には複数の図像系統があるが、右隻に南蛮寺と帆船、左隻には屋敷に集う南蛮人を描く本図は、伝狩野山楽本(サントリー美術館蔵)と同系統に属する。左隻の主題については近年、ボウリングの一種である九柱戯の可能性が指摘された。本図は付属の文書より、北三井家三代・高房が元文4年(1739)に長崎で購入し、呉服店に参考として備え置かれたと伝わる。長崎には唐反物などを仕入れる「長崎方」が設けられ、その一部は京本店で直売されていた。

























































