災害都市・江戸研究の一級資料「永要録」
江戸が、災害都市であったことは周知の事実で、たとえば、地下式防災倉庫である「穴蔵」が江戸で広く普及していたことは、『守貞謾稿』などからもおおまかに知ることができる。しかし、より具体的に、災害都市・江戸ならではの穴蔵事情を知ることができる史料が、三井文庫に所蔵されている一連の「永要録」なのである。
一例をあげると、弘化4年(1847)の「永要録」(本1110)には次のような記録が残る。すなわち、「前々から一か所あった台所穴蔵は、度々の火災により大破損し使用不能になっていたが、奥にも台所にも土蔵が一か所ずつあるものの、これまで火災の度ごとに建具や台所道具が多く類焼して差し支えるので、新規に入れ替えて以前のように穴蔵の使用を再開したい」というものである。
この小さめな新規穴蔵の普請費用は金38両であったが、100両以上かけて多くの穴蔵を設置している三井家においては、安い方である。つまり、土蔵があったとしても、江戸では穴蔵を使えないと生活に支障がでるため、大金をかけてでも設置せざるを得ないという状況が綴られており、それほどまでに江戸の火災は凄まじく、諸方面に大きな影響を与えていたことがわかる。
このように、三井家の穴蔵事情を知ることにより、災害都市・江戸の実態の一端を垣間見ることができよう。その詳細が記されている「永要録」は、大変貴重な、そして魅力的な史料なのである。
(近世都市史)