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もしフーコーが三井文庫に出会っていたら

藤村 聡
もしフーコーが三井文庫に出会っていたら
三井物産「社報」(物産41)
もしフーコーが三井文庫に出会っていたら

商社の人事システムを考察する一環として、ここ暫く戦前期の三井物産の「社報」に掲載された従業員の懲罰辞令を分析している。資料が残る明治36年から昭和23年まで通覧した結果、懲罰総数126名のうち不祥事(不正行為による解雇事案)は17名で、高等教育を修了した学卒者4名に対して非学卒者は12名(外に学歴不明1名)という構成になっており、不祥事の発生頻度と従業員の学歴は密接に関係していたほか、発生場所は海外が圧倒的に多いことが判明した。

これらの不祥事は、端的には組織秩序からの逸脱であり、それを論じた泰斗というべき思想家にミッシェル・フーコーがいる。若い日にフランス語教師として赴任したスウェーデンのウプサラ大学図書館で医学史文献を収めたヴァレール文庫に出会い、その研究成果は博士論文の『狂気の歴史』に結実し、その後も『監獄の誕生』など秩序の枠組みと個人の自由に関する思索を深めた。フーコーが扱った素材は病院や監獄であったが、もし企業資料の三井文庫に出会っていたら、彼の思想の遍歴はどうなっただろうか。これは実はあながち荒唐無稽な話ではない。コレージュ・ド・フランスの教授就任前に東京で教職の勧誘があり、フーコー自身も乗り気であったものの実現しなかったという。日本に来ていれば三井文庫を訪れた可能性も皆無ではなく、フーコーが追求した「狂気」「規律訓練」「権力の眼差し」のイメージは変わったかもしれない。

ともあれ誰にとっても三井物産が格好の研究対象であることに異論はないだろう。戦間期の従業員は2千人を超えてサンプル数は豊富であり、緻密な計測を可能にしている。最近になって、創業直後から残る「元方評議」や「取締役会決議録」にも懲罰記事が掲載されているのに気づき、分析期間は約70年間に拡大した。従業員の懲罰という極めて特殊な事象について、これほどの長期時系列データは国内海外を通じて稀有であり、さらに精度を高めて世界に類がない唯一無比のデータベースの構築とその省察を進めたい。

(神戸大学経済経営研究所/制度と意識の企業史分析)

もしフーコーが三井文庫に出会っていたら
三井物産「社報」(物産41)
もしフーコーが三井文庫に出会っていたら