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17 両替店2 事業の構造と推移

両替店一巻の事業内容

金融部門である両替店一巻りょうがえだないちまきの最大の事業は、大坂で預かった幕府公金を、商人に融資することであった。建前では、大坂で預かった幕府公金を原資に、「延為替のべかわせ」を組むことになっていた。つまり、江戸の商人から支払いをうける京・大坂の商人にその金額を支払い、一定期限後に江戸の商人からそれを取り立て、その金を幕府へ納める公金に当てる仕組みだった(→16 両替店1 両替業と御用)。しかし18世紀になると、実質的には為替と無関係な貸付をおこなうようになった。右の名目のもと、預かった額を上回る多額の自己資金を、上方商人や畿内の郷村へ高利で貸し付けたのである。ただし書類上はあくまで幕府の公金で、取り立てには手厚い司法の保護があり(→裁許帳)、三井に非常に有利であった。

江戸両替店では、幕府勘定所などの公金を預かり、その運用の名目で多額の融資を行った。

次いで、不動産を担保にとる融資(「家質貸かじちがし」という)が、大きな収益を上げた。大坂商人の多くは家屋敷を抵当に資金を借りて営業していたといい、これも近世経済を支える事業であった。

巨額の資金を運用する方法として一般に行われていた大名への貸付(「大名貸だいみょうがし」)は、利益率はまずまずであったが、三井では踏み倒されるリスクを警戒して、あまり好まれなかった(→09 家訓「宗竺遺書」)。若干の例外(→18 両替店3 領主たち)を除き、直接の融資は避け、大名の代理の商人へ、上記の「延為替」や「家質貸」として貸すなど、リスク回避に努めていた。

また公金を預る担保として都市の不動産(「町屋敷」)を保有していた。町屋敷や農村を質流れで入手することもあり、安永3年(1774)からはその経営も両替店一巻でおこなった。

業績の推移

両替店一巻の会計書類は豊富に残っており(→大録)、経営が詳しくわかる。およその業績の推移を、純益金(「延金のべきん」という)からみてみよう(→両替店一巻の純益金の推移)。

①享保期の不況から、元文元年(1736)の貨幣改鋳(→18 両替店3 領主たち)を期に、利益が急増。元文5年(1740)に最初のピークを迎える。

②宝暦10年(1760)の第二のピーク後、明和期(60年代後半)から急激に悪化。紀州徳川家の御用金(→21 変わりゆく社会、三井の苦悩)のため、優良な融資先からも資金を引き上げたことが大きかったとみられる。

③その後は三都で新たな融資先の開拓につとめ、やや低調ながら右肩上がりであったが、天保9年(1838)のピーク後の同13年、幕府の天保改革による大不況のため、業績が急激に悪化した。その後は好転し、銀相場の下落もあって、明治元年(1868)にピークを記録した。

総体としては堅調であった。「寛政一致」(→10 大元方1 一族と店舗の統轄)の際、大元方への上納が定額となり、それ以後は一巻内で資本の蓄積も進んだ。本店一巻がおおむね横ばいだった(→12 呉服店1 事業の構造と推移)のとは好対照といえよう。

大福帳(だいふくちょう)
大福帳(だいふくちょう)

同じ名称は、近世の商家でよく用いられたが、ここに紹介する三井両替店の帳簿は、勘定科目ごとに、全取引を記したものである。現在の会計帳簿でいえば、総勘定元帳に近いといわれる。これと対になるものとして「出入帳でいりちょう」があり、こちらは現在の仕訳帳に近いといわれる。
各店舗で半期に1冊作成され、京のものが39冊、大坂のものが160冊、江戸のものが1冊、現存する。他にも会計書類や補助帳簿類が多数存在し、精緻な管理がなされていた。三井の史料の中でも大部なもので、特に維新期の京両替店の大福帳には、実に厚さ40 cmを越える冊もある。左の図版に挙げたのは、左・右・下、それぞれで1冊である。記事を引用したのは、18世紀におけるピークを迎えつつあった宝暦9年(1759)下半期に、大坂両替店が作成した冊。同店で永久保存すべき帳簿に指定されていた。

史料の読み

史料の読み

記事について

勘定科目のうち、主力事業であった「延為替のべかわせ」(後述)を記載した部分の、最初の頁。取引先2口が記載されている。1口目は名高い大坂ますや堂島の米問屋・升屋ますや平右衛門らへ、2口目は、かつて江戸初の打ち毀し(→21 変わりゆく社会、三井の苦悩)の対象となったことで知られる米穀商・高間たかま伝兵衛への貸付である。

ともに盆前(前の半期)から継続することを示す印がおされ、返済期限はこの年3月とある。1口目は、閏7月に返済されたと記され、消印が押される。2口目は、当半期では返済がなく、春季(次の半期)の冊に転記したことが、印で示されている。他にも様々な印が押されており、経理処理や監査が何度も行われたことがわかる。

大録
大録

京両替店の決算書類。統轄機関・大元方へ提出された。

裁許帳
裁許帳

京両替店が関わった訴訟の記録。融資には返済の滞り、訴訟がつきものであったが、三井の「延為替」は保護を受けていた。書類上はあくまで、幕府の御用として為替を組むために公金を動かす、という形式になっていたからである。

両替店一巻の純益金の推移
両替店一巻の純益金の推移

享保7年(1722)~明治4年(1871)

 

16 両替店1 両替業と御用
18 両替店3 領主たち