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02 松坂の高利

伊勢商人・松坂商人

伊勢国(現在の三重県)は、古来商業と流通の一大中心であった。右の史料にみえる角屋かどやの一族には、東南アジアで活躍した商人もいた。近世に入ると、鎖国政策によりこうした海外貿易は制限されてゆき、そうした情勢のもとで、伊勢商人たちは新たな市場・江戸に早くから進出し、近江商人とならぶ江戸商業の担い手となっていった。

高利の生地である松坂まつさかは、豊臣秀吉の時代に発展した、やや新しい都市で、松坂商人たちはやはりこの時期に競って江戸に出店し、木綿・紙・茶など消費物資を扱う一大勢力となりつつあった。

徳川家がもたらした泰平と鎖国の時代、社会・経済の激動と、それに対応した豪商たちの躍動の中で、高利は成長し、経験を積んでいった。

三井家のルーツ

近世の系図では、三井家はもと近江(現在の滋賀県)の佐々木六角氏に仕える武士で、高利の父・高安たかやすの代に織田信長に脅かされ、伊勢に移ったとされる。この高安の代からは、確かな史料が残されている(→三井越後守宛紅粉屋藤太夫預り手形)。町人として生き、伊勢豪商たちと縁戚であった高安を、近世の三井では、「元祖」高利に対し「家祖」と呼んだ。三井の屋号として名高い「越後屋」は、この高安が越後守えちごのかみと名乗ったことに由来し、彼の子の代から使われた。

一族の事業

高安の子、高利の父である高俊たかとしは松坂で酒・味噌を商い、質屋もいとなんだ。実際に経営したのは、妻の殊法しゅほうだった。殊法は激しい性格の非常に商才ある人物で、後に「三井家商いの元祖」といわれ、その薫陶をうけた高利ら3人の息子は、いずれも一流の商人となった。

高利の長兄・俊次としつぐは京・江戸で成功した商人で、末弟の高利やその年長の子供たちは、少年時代にまずこの俊次の江戸の店に勤め、経験を積んだ。

次兄・重俊しげとしは、兄・俊次を助けて江戸で活躍した。高利は、この次兄が母に付き添うため松坂に戻ると、かわりに長兄の江戸の店を預かり、さらに次兄が早世すると、母のために松坂に戻った。

松坂での雌伏

松坂に戻った高利は、老母の面倒をみながら、もっぱら金融業にはげんでいたらしい。領主・紀州徳川家などの武士や近在の農村に貸付をおこなっていたことが、右に紹介した「万借帳よろずかりちょう」「万覚帳よろずおぼえちょう」にみえている。

こうして資産をたくわえながら、高利は息子たちの成長を待ち、江戸・京に進出する構想を練っていたと伝えられる。これに反対していた長兄・俊次が延宝元年(1673)に没すると、満を持して、江戸と京に自分の店を開いたのである。

万借帳(よろずかりちょう)
万借帳(よろずかりちょう)

伊勢松坂時代の高利(当時40代末)が、みずから記した帳簿。表紙には題と年代が記され、裏表紙には高利が「越後屋八郎兵衛」と署名している。ごく小さな帳面だが、現存する三井の経営帳簿としては最も古く、寛文9年(1669)からの商取引、主として貸借関係が記される。寛文11年(1671)からの「万覚帳よろずおぼえちょう」とともに、江戸進出前後の事業について具体的に知ることができる、きわめて貴重な史料である。表紙に細い板を埋め込んだ珍しい装丁は、高利作製の冊子に共通する特徴。
一度は用済みとなり、各頁がバラバラにほどけていたが、後に子孫が創業期の記録を整理した際に、原状を推定して綴じ直されたものとみられる。総領家である北家で大切に保管されてきた。三井の修史・史料保存活動の、もっとも初期の成果でもある。
近年三井文庫所蔵となり、公開されるとともに、頁順の復元がしなおされ、内容の理解が深められた。

万借帳(よろずかりちょう)

史料の読み

史料の読み
史料の読み

史料の読み

記事について

高利の松坂時代、寛文12年(1672)の、出金を記載した箇所から引用した。この頁には5口の取引が載る。①の取引先は、松坂の豪商・小野田家(通称射和蔵)。射和の富と山家(大黒屋)への為替金を渡したとある。いずれも江戸に店をもつ、伊勢を代表する豪商で、高利の姉妹の嫁ぎ先でもあった。2件を略して、②の取引先は、やはり松坂の豪商で、戦国時代から全国で海運業を営み、徳川家とも関係の深かった角かど屋や 。③の取引先は、やはり松坂商人・荒木家である。上部中央には高利の印もみえる。

こうして松坂時代の高利が取引を行っていた近隣の商人は、近世商業では大きな存在であった。

三井越後守宛紅粉屋藤太夫預り手形
三井越後守宛紅粉屋藤太夫えちごのかみあてべにこやとうだゆう預り手形

慶長3年(1598)、高利の祖父・高安たかやすに宛てられた借金証文。文末に、「三井越後守殿」との宛先がみえる。高利の父祖の史料は、この一通しか現存していない。

三井家の家紋・四つ目結
三井家の家紋・目結めゆい

鎌倉時代から続いた武家の名門、近江の佐々木六角氏と同じ紋である。三井11家(→06 高利の子供たち)で、それぞれ微妙に形が異なる。これは総領家である北家の紋。

家伝記
家伝記かでんき

享保7年(1722)作成。「家祖」高安から書き起こし、高利の一族について記す。「商売記」(→04 現金掛け値なし)とならぶ草創期についての根本史料。

 

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