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01 元祖「三井高利」

「商人の大祖」

近世以来、三井の「元祖」とされるのは、三井高利たかとしである。伊勢国・松坂で8人兄弟の末子として生まれたのは、元和8年(1622)とされる。14歳から江戸に出て修行し、28歳でいったん松坂に戻った後、52歳で江戸と京に店を開き、抜群の商才によって驚異的な成功をおさめ、近世の日本を代表する商人となった。

高利の生涯や人柄は、後に子供たちによって書き記された(→04 現金掛け値なし06 高利の子供たち)。商売以外の道楽は不要と述べて事業に打ち込み、人を知ることを好んだ。若いころ飯炊き男を店の重役に抜擢したと伝わる。奉公人扱いの名人で、珍味はわずかでも必ず全員に分け与えたという。3男・高治たかはるが記した「商売記」しょうばいき(→04 現金掛け値なし)には、「三井一家はもとより商人の大祖」「士農工商の一つの棟梁とうりょう」との世上での評価が記される。商人出身で同時代の大作家・井原西鶴いはらさいかくは、多数の商人に取材したベストセラー『日本永代蔵にっぽんえいたいぐら』の中で、高利を「大商人の手本」「世の重宝」と称賛している。のち京都に住み、元禄7年(1694)に没した。

高利の事業は、14歳で江戸に下るとき携えていた10両分の木綿からはじまったが、その遺産は銀4320貫余、金換算では約7万2000両余に達したと推計される図を見る。同年の幕府歳入の約6パーセントにあたる額で、高利一代で築いた資産の巨大さがわかる。

三井高利夫妻像(たかとしふさいぞう)

高利(宗寿そうじゅ)と妻・かね(寿讃じゅさん)の肖像画。高利が最晩年、病床にある時期に描かれたと推定されている。手に数珠を持ち、中世以来の伝統的な夫妻像の形式で描かれている。
高利夫妻の図像は、校正に写しがたびたび作られ、高利夫妻の子孫や、大きな功績をあげた奉公人たちに与えられたので、少しずつ図像の異なるものがいくつも現存する。

妻と子供たち

高利の妻・かね(寿讃じゅさん)は、松坂の豪商・中川家の出ながら質素で、慈悲深く非常に慕われ、後に夫とともに「元祖」と称された。奉公人が早朝に出発するときは早起きしてもてなし、下男や小僧の親戚でも訪れて来れば必ず会ったという。

二人はともに健康で長生きし、10男5女をもうけた。特に息子たちはそれぞれ商才にすぐれ、高利を助け事業を発展させ、継承していった(→06 高利の子供たち)。

高利のことば

前述の「商売記」は、高利の言葉を多数のせる。自身の経験や古今の逸話を引いて、商売の心得を述べたもので、子供たちや奉公人たちが折に触れて聞かされた言葉を、高利の没後に集め、書き残したものであろう。そのいくつかを紹介しよう。

平和のありがたさ乱世では金銀や荷物も運びがたい。家を建てるにも地ならしが第一だ。平和を保つ天下人への感謝を日々忘れてはいけない。

商いのもとは養生にあり『論語』でも、身を守るよう説く。神にもまず子孫息災・延命を祈るのだ。

新法を工夫すること商いの道では、どんなことでも、新しい方法を工夫すべきである。

重職者を選ぶこと上の者が下の者を順々に、適切に選べば、大きな組織であっても混乱しない。主人は幹部さえうまく選任すればよい。

真似されることは利益追随者が増えると、名が広まるので、かえって自分の利益になる。

商売の情報を集めよ奉公人はどんな噂も報告し相談せよ。十に一、二が役立てばよい。来店した商人には酒を飲ませ、商売先の噂話をさせよ。逆にこちらは買付け先で酒を飲んではならない。

大当たりの危険鉱山・新田開発、公共の大工事の請負などで一度に大もうけした商人は、没落も早い。苦労し骨を折った商人こそ、子孫が長く繁栄するものだ。

客を利することが長期的な利益昔ある商人に商品を高く売りつけたが、捌けなかったらしく注文がなくなった。こうしたことは、双方の損である。また、客の支払いが滞ったら、思い切って帳消しにすれば、得意客になってくれるものだ。

勤勉高貴な門跡は毎朝早起きしお勤めをする。大名の参勤交代は一日の出発の遅れも許されない。商人は成功すると勤勉を忘れ、潰れてしまう。

節約利子の累積を思えば、わずかな無駄遣いもすべきでない。奉公人でも富豪になれる。また節約する方が、10倍の額を稼ぐより確かである。

小遣いと勘定小遣いを勘定なし(収入を考えず)に使う商人は下、勘定して使うのは中。上々の商人も、勘定なしに使う。商売の好不調に左右されず、必要な額だけを使うからである。

人の女房は大黒だいこく、男はえびすと心得よ妻は福の神、男は野蛮人。家の盛衰は妻にかかっているのだ。

 

宗寿居士古遺言(そうじゅこじこゆいげん)

高利(宗寿)が、死の数ヶ月前に作成した遺言状。膨大な資産を、多数の子供たちで分割する比率を記したもの。子供たちが自分の持ち分の下に署名している。実際には、子供たちは結束して共同で事業を続けた(→06 高利の子供たち)。

高利所用の品々

十徳(上)・染付壺(左下)・水入(右下)。こうした品々は子孫に伝えられたほか、大きな功績をあげた重役に、褒美として与えられた。

 

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