40 同族の欧米視察
高棟一行の旅立ち
三井高棟の視察旅行については、桜井信四郎がまとめたものと推定される「外遊記」によって、詳しく知ることができる。明治43年(1910)4月21日、高棟一行は下関急行列車で新橋駅を発った。途中停車駅で大勢の関係者の見送りを受けながら、翌日には下関に到着した。23日、門司で大阪商船の嘉義丸に乗船して大連へと向かう。25日には大連へ入港し、翌日から旅順の二百三高地、南満州鉄道株式会社(満鉄)の各工場などをまわっている。29日、満鉄の特別な計らいで用意された寝台車に乗り込んで北上し、5月2日には、長春でシベリア線「特別買切客車」に乗り換えてハルピンに向かった。その後、ロシア、ドイツ、イタリア、フランスなどを経て、ロンドンに長く滞在する。一行は、大西洋を渡ってカナダに上陸した後、ニューヨークなどでの視察を終えて、アメリカ大陸を鉄道で横断し、帰国の途についた。その旅程を追ってみよう(→高棟一行)。
ロシアの旅(16日間)
5月3日ハルピンを出発、ロシア入り
11日モスクワ到着
9日間にわたるシベリア鉄道の長旅は、快適なものとはいえなかった。「外遊記」によれば、割増金を「強迫」されたり、乗っている貨車を外されそうになったり、「露国鉄道の役人衆の無法なるには驚くの外なし」と憤ることたびたびであった。無理が祟ったのか、高棟は発熱のため医師の診断をうけており、一行は、日本大使と相談することが「安全」と考え、首都に向かう。
14日サンクトペテルブルク着(高棟回復、エルミタージュ美術館などに行く)
ヨーロッパ巡遊(41日間)
18日ベルリンに向けて出発(翌日着)
26日ウィーンを経てイタリアへ
29日ベネチア着(→ベネチアのホテルで休息)
6月1日高棟らはフィレンツェ着(団と属は製錬工場などの見学のためミュンヘンへ向かう)
4日ローマ着(コロシアムなどを見学)
7日ローマ発、翌日パリ着(ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂などを観光)
高棟は団らと合流し、フランスの大銀行や株式取引所などを訪問した。苞子と慶子はパリの日々を楽しんでおり、ドレスを新調したり、ティファニーで宝石を買い求めたりしている(→三井苞子「欧米漫遊記」)。
イギリスに滞在(約2ヶ月)
27日一行はパリを出発、ロンドンに到着
28日三井物産ロンドン支店へ
29日日英博覧会を訪問
滞在中、多くの金融機関、工業地域の視察を行った。主な訪問先は、イングランド銀行、香港上海銀行、ロイズ、カーディフ炭鉱、ヴィッカース製鋼所など。「外遊記」によれば、石炭の輸出港として名高いカーディフに立ち寄った高棟一行は、船積作業の速度を計り、三池港の新鋭設備と比較している(→35 三池港の開港)。結果は、三池港よりも「稍遅緩」であるとしている。
アメリカでの事業視察(約1ヶ月半)
9月9日リバプールからアメリカ大陸へ(豪華客船エンプレス・オブ・ブリテン号に搭乗)
船上では舞踏会もあり、常に平穏な航海であったため、一行は「元気旺盛」のまま、15日にカナダのケベックに入港した。
16日モントリオール着(翌日には出発)
17日ニューヨークに到着(プラザホテル泊)
アメリカンロコモーティブ社やゼネラルエレクトリック社(GE)を何度も視察している。また、高棟はボストンやニュージャージー州にも足を伸ばし、留学時代の恩師や学校を訪ねている。
10月14日ニューヨークから鉄道横断の旅
食堂、厨房室、料理人の部屋、三つの寝室と喫煙室が連結された特別車両に乗り込んだ。ワシントン、グランドキャニオン、ロサンゼルスなどの各地で途中下車しながら、観光や視察を重ねた。
11月1日サンフランシスコで東洋汽船の天洋丸に乗り込む(7日ホノルル寄港)
18日横浜港着(高棟子女、桟橋にてお出迎え)
明治43年(1910)2月頃、三井家顧問の井上馨から、三井合名会社々長の高棟(後列中央)に対して、欧米を巡遊すべしとの勧めがあった。同行したメンバーは、夫人苞子(前列中央)、長女慶子(前列右)、団琢磨(前列左)、桜井信四郎(三井合名会社職員)、属最吉(後列左)、通訳の久田愛子、慶子付女中の北島花子の8名。後年、益田孝は、三井のトップマネジメントを担う人物として団をこの視察に随行させたが、帰国後、高棟から「あれならば誰よりも一番よい」と言われたと語っている。7ヶ月にもわたる旅は、高棟にとって、団の人柄や能力を知るよい機会となり、その後の三井の事業が、団・高棟体制ですすめられていく布石にもなった。なお、全旅程212日のうち事業視察は50日程度であり、観光や教育機関訪問などに多くの時間をあてている。この欧米視察は、三井総領家の当主として、諸外国の文化や芸術に対する見識を広めるためにも、有意義なものであったと思われる。
高棟夫人の苞子が、この旅での出来事や各地の印象などをつづった日記。6月8日にはパリに到着し、「婦人ノ衣類ヤ宝石デキカザル所新流行地ナリ」と書きとめられている。翌日には慶子とともに、仕立屋にドレスを注文し、20日には大使館での晩餐会に招待され、「此土地ニテ有名」な「衣装クラベトテ中々晴ガマシイ」、「我々モ新調ノ洋服デ行ク」と記されている。
ベネチアに到着した一行は、ゴンドラに乗り込んで、ブリタニアホテルに泊まる。