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20 奉公人2 生活と管理

奉公人の生活

住み込みの奉公人の生活は厳しく、京本店の場合、休日は年に10日ほどで、娯楽も4月の花見、7月の祇園祭・加茂川の夕涼み、11月の芝居の顔見世興行など、ごく限られていた。商売の神をまつる恵比寿講が正月・10月に行われ、正月には人事異動も合わせて発表された。

食事は米飯中心で、原則一汁一菜と簡素であった。夏・冬の灸治など、保養のための制度もあったが、しばしば病死者も出た。享保期には、そうした死者を弔う「総墓そうばか」が設けられた。近世後期の両替店では、食費などを徹底的に切り詰めたが、病死者や病気による中途退職者が多数におよんだ。好調であった業績(→17 両替店2 事業の構造と推移)は、このようにして削り出されたものでもあった。

下男たちの生活は、詳しくわかっていない。

膨大な規則

数百人にのぼる奉公人の管理、複雑な事業運営のため、規則が膨大に作られ、現存するものだけで数百点にのぼる。内容は、子供むけの「土蔵への落書禁止」「風呂や手洗はきれいに」「家内で走るな」「布団の上げ下ろしは静かに」などといったことから、重役むけの営業指針・人事の心得・重要書類の管理規定まで、非常に多岐にわたる。これらは店内のあちこちに掲示され(→板式目)、定期的に奉公人たちへ読み聞かされていた。

手代となる前に奉公から脱落する者も多かったが、こうした規則の細かさ、厳しさも理由の一つと考えられている。明治時代の聞き取り調査によれば、子供には厳しいしごきもあったという。

規律違反と管理

規則の多さは、違反者の多さでもある。下に載せる「批言帳」には、実にさまざまな奉公人たちの違反行為が記録される。最も多いのは商品の横流し、使い込みである。門限破りも多い。住み込みの厳しい勤務生活のなか、外出の機会をとらえては、遊郭に繰り出し、酒食を楽しみ、羽をのばしていた姿が、生々しく伝わってくる。こうした違反には、罪状に応じてきめこまかな対処がなされた。外出禁止や夜間の宿直を命じられる場合が多く、一番重い処分は暇を出すことであった。

また欠勤状況も、時間単位で細かく把握された。京本店では、皆勤者やそれに準ずる者は、褒美の金が出、伏見稲荷の祭礼にゆくことが許された。

処罰を繰り返しながらも、かなりの出世をとげた者もおり、減点主義で奉公人をふるい分けるためではなく、この過程で奉公人を教育していくための仕組みであったと評価されている。

「別家」と「相続講」

住み込みを終えた一定ランク以上の奉公人は、越後屋の屋号と暖簾のれん(→別家の暖簾)の使用が許され、「別家べっけ」と呼ばれた。三井への奉公も自宅から通勤して続ける者もおり、三井の重役クラスは基本的にこうした存在であった。自分の店をもった別家の経営は必ずしも順調ではなく、これを問題視した三井高房(→08 危機と記録の時代)は、「相続講そうぞくこう」という互助組織を作らせた。勤続20年以上の別家が加入し、相互に相談・助言をした。また支援の財源として、三井の出資金と講の参加者が積み立てた金を、三井の店で預かり、利子をつけていた。

こうした別家は、天保初期(1830年ごろ)で百弱もあり、三井の事業や奉公人の供給の上で、極めて重要な存在であった。

批言帳(ひげんちょう)
批言帳(ひげんちょう)

京本店の史料。奉公人たちの不始末の記録。名前、罪状、処分が記されている。作成したのは組頭という上級の奉公人。
帳簿上の不正処理や使い込み、集団生活にともなう様々な問題が生々しく列挙される。規則や制度だけからは窺いしれない、江戸時代の店や奉公人の生活の実情が詳しくわかる、非常に貴重な史料である。
残念ながら現存するのは、上掲の天明6年(1786)~文化2年(1805)を記す1冊のみである。

史料の読み
批言帳(ひげんちょう)
批言帳(ひげんちょう)
史料の読み
史料の読み
批言帳(ひげんちょう)
批言帳(ひげんちょう)
史料の読み

現代語訳

(本文部分)①右の者は、前条の問題(遊廓通い、使い込み)に加え、下男たちの部屋で賭博を行っていた。そもそも下男たちと親しいのが問題のもとである。取り調べの上、実家に戻した(冒頭には、その後三ヶ月で復職したと記される)。

②右の者は、実家のために多額の商品を持ち出して、金に換えていた。大問題であるが、特別に容赦し、支配人から面談で、外出禁止を申し渡した。

記事について

①は店内での賭博で、巨大店舗での集団生活ならではの問題。手代と下男(→19 奉公人1 昇進と報酬)は、互いに親しく交わらないよう注意されていた。

②は当時も頻発した、商品の横流し。外出は住み込みの奉公人にとっては楽しみであり、その禁止はよく課された処罰の一つだった。

板式目
板式目いたしきもく

店内に掲示された規則には、こうして板に書かれたものも多かった。蝶番がつき、折りたためる。右上の白い張紙は、「公儀(幕府)」の法令を順守せよ、との箇条を、「政府」に訂正している。明治維新をまたいで使われたことがわかる。

別家の暖簾
別家べっけ暖簾のれん

奉公人が自分の店をもつ、いわゆる「暖簾分け」の際に与えられたもの。奉公人のランクに応じ、商標の種類や使ってよい場所に、細かな違いがあった。

 

19 奉公人1 昇進と報酬
21 変わりゆく社会、三井の苦悩