18 両替店3 領主たち
貨幣改鋳
近世では、貨幣を鋳造・発行できたのは幕府だけだった。国内の貴金属が掘り尽くされてゆく一方で、経済の発展にともなって貨幣の需要は高まっていった。また幕府の財政は、構造的な問題を抱え、次第に悪化していった。これらを解決するため、幕府はしばしば貴金属の含有率を下げて貨幣を鋳造しなおし(→各時代の小判)、発行量を増やした。
三井はしばしば幕府に命じられ、三都で新旧の貨幣の交換にあたった。中でも三井にとって重要だったのは、長い不況(→08 危機と記録の時代)のあとで行われた元文元年(1736)の貨幣改鋳である。交換促進のため、旧貨幣はより多額の新貨幣と交換できたので、三井の資産も急増した。交換業務にともなう手数料収入も巨額で、さらに古い債権などはなるべく旧貨幣で取り立てる方針を取り、大きな利益をあげた(→17 両替店2 事業の構造と推移)。この後景気は好転、呉服部門である本店一巻も躍進をとげ(→12 呉服店1 事業の構造と推移)、この改鋳は三井の経営の画期となった。
その一方で、文政元年(1818)からの改鋳のように、交換にメリットがない場合もあった。
領主と恩人
家訓「宗竺遺書」(→09 家訓「宗竺遺書」)では、大名相手の融資は原則避けるが、松坂の領主である紀州徳川家と恩人である牧野家は特別扱いと定められた。実際に両家への貸付は近世を通じて続いた。京両替店が貸付の窓口となり、大元方(→10 大元方1 一族と店舗の統轄)が統轄した。
当初は返済も順調で、三井にとって優良な事業でもあった。しかし18世紀半ばには、領主一般の例にもれず両家の財政も悪化してゆく。返済が滞り、さらに巨額の追加融資を求められるようになる。三井では万一の焦げ付きに備え、両家から取った利子は収入に計上せず、別途積み立てていた。あまりに巨額となると、不良債権として処理したり、返済方法を調整したりしたが、特に紀州徳川家の未返済分は巨額となっていく(→21 変わりゆく社会、三井の苦悩)。
また松坂では文政5年(1822)から、紀州徳川家の藩札(→松坂銀札(見本摺))の発行に携わった。発行高は増し続けて幕末におよんだ。
幕府高官たち
三井は、大名一般への融資には積極的でなかったが、幕府の高官は別であった。特に幕府を運営した老中たち、西日本の支配にあたった京都所司代・大坂城代や、京都・大坂の町奉行たちには、こまめに融資をおこなっていた。これは営利目的というより、御用商人として高官たちと深く結びついていたためと考えられている。
門跡と御所
延享2年(1745)から、歴代将軍の墓所をまもる輪王寺宮(日光東照宮・上野寛永寺を支配)の資産を預かり、運用した。この資金の貸付には司法の保護があったが、実際には御為替銀(→16 両替店1 両替業と御用)と同様、この名目で多額の自己資金を貸し付けていた。これは江戸両替店の重要な事業であった。
また三井は幕府御用の一環として、火災後の造営費など、さまざまな御所関係の支出の管理にたずさわった。御所の御用商人もつとめ(→御用札)、北家当主は朝廷のごく低い官職に就いた。御所との直接の関わりはささやかなものであったが、維新の際に見直されることになる。
京両替店の記録で、紀州徳川家のさまざまな御用について、日をおって記したもの。天明3年(1783)から明治3年(1870)分まで完存している。それ以前のものは、天明の京都大火(→21 変わりゆく社会、三井の苦悩)で失われた。ここに紹介したのは7冊目で、現存するもっとも古い冊。京両替店で永久保存に指定されていた。
三井両替店では、幕府のほかにもさまざまな領主の御用を請け負っており、こうした領主ごとの御用留が多数残っている。
記事について
天明4年(1784)12月、三井八郎右衛門(この時は北家6代・高祐)の名で、紀州徳川家の役人に出した受取証を写した箇所。現金1万両を、紀州領の松坂から京都へ輸送した運送費として、10両を受け取ったとある。この年、紀州徳川家の懿姫が、右大臣一条輝良に嫁ぎ、この現金は婚礼や新居の建設に使われたと思われる。同時に三井は、1万3000両の融資を申し込まれ、9500両に値切って上納した。
左から元禄小判、正徳小判、元文小判、文政小判。額面は同じ金1両であるが、金の比率が異なる。正徳小判は金を多く含み、品質がよい。他は、小判の発行量を増やすために、金の比率を落としてある。その他の金貨や銀貨も、たびたび鋳造しなおされた。
紀州徳川家の命で、三井ら松坂に拠点をもつ有力商人が発行した藩札。銀貨と兌換することを商人が保証するもの。右から、銀1匁・5分・3分・2分の札。この札64匁で、金1両と交換することもできた。信用があり、当初の予定より広域で流通した。
御用商人であることを示すために用いる。左上は紀州徳川家、右下は御所のもの。それぞれ、葵と菊の紋がみえる。長い柄は取り外しができる。御用商人がもつ紋付の器物としては、このほかに提灯や幕などがあった。