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08 危機と記録の時代

享保改革と不況

高利が没した元禄期(17世紀末)には、貨幣が増鋳されてインフレ傾向がつづき、三井もそれに乗って発展した。しかし物価上昇などへの批判が強かったので、幕府は正徳期(1710年代)に貨幣の量を減らす改鋳を行い、デフレ状況となった。つづく8代将軍吉宗による享保改革では、物価の引き下げ、華美の禁止、債務関係の訴訟の制限が実施され、都市部ではきびしい不況となった。

「米価安の諸色高」

この時期は気候が温暖湿潤で豊作が続き、近世社会における最大の商品である米の価格は安かった。しかし従来はそれに連動していたその他の物価(「諸色しょしき」)はむしろ上昇し、大きな問題となっていた。この事態は、年貢米を換金して消費物資を買う大名たちの財政を直撃し、さらにウンカの襲来によって西日本で大凶作となったことが追い打ちをかけた。巨額の資金を大名たちに貸し付けていた大商人たちは、次々と没落していった。

経営姿勢の変化

三井では高利の子供たちや初期の重鎮たちが次々に没しており、内外に危機を迎えることになった。三井同苗や奉公人は不況を深刻にうけとめ、倹約や事業上の打開策が模索されていく。

こうした時期に作られた「町人考見録」は、不況下で新世代を教育するためのものと考えられる。豊富な失敗事例を解説する言葉からは、かなり慎重な経営姿勢がみてとれる。利益は高いがリスクを伴う事業への警戒、従来の事業内容の堅持、現金保有重視、御用引き受けによる奢りの警戒などは、同時期に高平の遺言の形で作られた家訓「宗竺遺書そうちくいしょ」(→09 家訓「宗竺遺書」)と共通する。

規則の成文化・文書体系の整備

この時期には他にも、家の歴史や店の規則などが多数作られ、その後の規範となった(→家法式・公法式・商用式)。営業書類も体系化された。近世を通じて書き継がれた多くの記録(→永」のつく記録類)が、この時期に始まる。

同じように、冒頭図版の解説でふれた鴻池家や、だいまる競争相手の大丸だいまること下村家(→14 呉服店3 競争と販売)、銅山経営で知られる住友家など他の大商人も、家訓や規則を定めている。こうした動きは、幕府をはじめ社会全体でみられた。危機の時代に、父祖の歴史と思想に立ち返って結束をはかるとともに、堅実な姿勢を成文化し、子孫に残したのである。

歴史編纂のはじまり

さらに従来の歴史が調べられ、記録された。高利に接したことがなく、創業・発展の苦労を経験していない世代に伝えるためであった。黎明期の文書が整理され(→02 松坂の高利)、古い重役には覚書を提出させ(→03 江戸進出)、「家伝記」(→02 松坂の高利)・「商売記」(→04 現金掛け値なし)が編纂された。遠い祖先の研究も始まった。三井における最初の修史・編纂時代ともいえ、現在明らかになる初期の歴史は、ほぼこの時代に整理・作成された記録に拠っているのである。

町人考見録(ちょうにんこうけんろく)
町人考見録(ちょうにんこうけんろく)

北家3代・高房たかふさ(→三井高房)の著。享保13年(1728)に成立。没落した大商人約50家について、父・高平(→06 高利の子供たち)から聞き取り、事業や没落のさまをまとめたもの。警句や教戒も含まれる。奉公人の重鎮・中西宗助(→07 事業の統合と「大元方」)の勧めで作られた。
語り手の高平は当時70代後半で、記憶に基づいて数十年前のことを述べている部分もあるものの、詳しい記録にとぼしい近世はじめの商業について、長年にわたり実際の商況に接してきた優れた商人が観察した、非常に貴重な史料として知られる。既に近世から、写本がひろく流布していた。ここに掲げた本は、末尾に高房の署名捺印があり、岩波書店『日本思想大系』の底本とされたもの。

町人考見録(ちょうにんこうけんろく)

史料の読み

町人考見録(ちょうにんこうけんろく)
町人考見録(ちょうにんこうけんろく)

史料の読み

現代語訳

(両替商の鴻池善右衛門は)40年間、家を保ち、家業をよく勤め、親孝行であった功徳であろうか、近年は大名貸をしていた商人は将棋倒しのようになっているのに、この鴻池だけは手廻しがよく、ますます富裕になっている。ひとえに若いころから家業に専念し、身を慎み、孝行の功徳で富を得ることは、すなわち天の道、目にみえる道理である。よく心得るべきである。

記事について

没落した商人を多数とりあげた最後に、逆に良い例として、三井と同じ両替業を営む大坂の大商人・鴻池こうのいけ(日本生命保険や三和銀行のルーツ)の3代目・宗利をとりあげた箇所。

三井高房(1684―1748)
三井高房たかふさ(1684―1748)

北家3代。高利の嫡孫。父・高平の没後、一族を統轄する「親分」(→09 家訓「宗竺遺書」)に就任。子が多く、2連家(→06 高利の子供たち)を増設した。茶、香、絵画、歌などにも長じた。

家法式(左)・公法式(中央)・商用式(右)。
家法式(左)・公法式(中央)・商用式(右)。

享保期に制定された代表的な規則。それまで出された規則の内容を取捨選択し、まとめ直されている。本店のもので、正月・5月・9月に奉公人に読み聞かされていた。他にも多数の規則類が、享保期に作られた。

「永」のつく記録類
「永」のつく記録類

京本店「永書」(左上)・江戸本店「永聴記」(右上)、京両替店「永要録」(左下)、江戸両替店「永要記」(右下)。各店で書き継がれた、永久保存用の記録類。

 

07 事業の統合と「大元方」
09 家訓「宗竺遺書」