記録することへの執心-「改勤帳」-
私は三井越後屋の奉公人組織について研究を進めてきた。着目した点は、越後屋の奉公人の数が近世社会においては稀有な多さであったこと、それゆえに組織化・規律化が不可欠となり、そのための制度が整っていたことである。それらの制度の一つに、奉公人の勤務状況を把握するための、現代風にいうと勤怠管理のための仕法があった。その結果を記録した帳簿が、越後屋京本店の「改勤帳」(本1514、1515)である。
「改勤帳」においては、京本店の組頭役から初元初年までの手代一人一人について、半年ごとに欠勤の時数と種類が記録され、さらに1か月平均の欠勤時数が算出され、それをもとに「大丸勤」(無欠勤)以下のランク付けがなされている。最も注目すべき点は、勤務状況が数値で可視化されていること、およびその数値が時数であることである。欠勤時数と報酬とが連動しているわけではないので、近代の賃労働者の時給や日給などのように労働を時間で評価しているとまではいえないが、越後屋の奉公人制度の特異性をよく示す史料のひとつである。
「改勤帳」は明和8年(1771)から天明6年(1786)までと、文政6年(1822)から天保10年(1839)までの2冊が現存している。これだけでも延べ4144人分の調査結果が記録されている。作成に要した手間ひまは並ではない。とにかくよく調べ、よく計算したものだと感服せざるを得ない。人間の活動を数値化し、記録することへの執心のようなものを感じてしまう。
このように残されたデータの量は膨大であるが、一方でこれが実際に運用された状況を想定すると、不分明な点がいくつかある。そもそも京本店では、どのようにして時間をはかっていたのかがよくわからない。また欠勤の種類のうち「黒星」(私用の外出)については当事者が申告したものと推測できるが、「朱星」(休息)はどうか。どこでどのように休息するのか。また「病気引き」と「夜引き」とはどのように区別されるのか。等々、実際の場面を想像すると、はっきりしない部分がまだ残っている。面白いけれど、よくわかったという感じがしないという点においても、気にかかる史料のひとつである。
(専修大学)