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三井物産の国内取引研究にとって重要史料

中西 聡
三井物産の国内取引研究にとって重要史料
三井物産「大阪支店(貸借)総勘定書」明治二五年上、下季(物産543-11、545-11)
三井物産の国内取引研究にとって重要史料

明治中期の三井物産の国内市場での活動の研究を進めていた私にとって重要な史料となったのが、この「明治二四年度・二五年度上・下半期三井物産大阪支店(貸借)総勘定書」(物産541-8、543-11、545-11)であった。三井物産本店の各部門および支店の(貸借)総勘定書は、明治20年代に比較的まとまって残され、三井物産の活動が、取引相手ベースで明らかにできる貴重な時期であった。なかでも、大阪支店は、国内各支店のなかで明治20年代後半に安定して高利益を上げ、三井物産の国内市場での活動の要となっていた。大阪支店の北海道産海産物の取引は、産地商人より大阪での販売委託を受けて、荷為替金や運賃金を貸し付けて商品を大阪まで汽船運賃積で運び、大阪で販売する委頼品と、大阪支店が自ら商品を買い入れて自己責任で販売する店持品に分かれていた。三井物産とその競争相手との関係を知りたかった私は、販売委託された商品をどの船が大阪まで運んだかに関心をもった。ところが、明治20年代の大阪支店の(貸借)総勘定書の多くには、運賃金を貸し付けた記載はあるものの、どの汽船で大阪まで運んだかが記されていなかった。そのなかで、この明治24~25年度の大阪支店貸借総勘定書は、運んだ船名が記載されており、私にとってなくてはならない資料となった。国立公文書館所蔵の同時期の「船名録」よりその船名の船主を確定させてみると、日本郵船の汽船が多いだろうとの予想を覆して、三井物産が多様な船主の汽船を利用していたことが判明した。三井物産大阪支店は、日本郵船の汽船のみでなく、北海道市場でのライバルと目された北前船主の所有汽船や、自社船もかなりの比重で利用していた。北海道産品市場は、そこへ進出した三井物産と近世来の諸勢力との対抗といった単純な関係ではなく、協調と競合が入り混じった複雑なものであったことが明らかとなったのである。

(慶應義塾大学)

三井物産の国内取引研究にとって重要史料
三井物産「大阪支店(貸借)総勘定書」明治二五年上、下季(物産543-11、545-11)
三井物産の国内取引研究にとって重要史料