「三池鉱山年報」
1965年(昭和40)夏、私は初めて三井鉱山株式会社三池鉱業所を訪れました。私の石炭鉱業史研究の原点となった地です。当時グランドでは早朝から三川坑炭塵爆発事故(1963年11月9日)の患者のリハリビが実施されており、私への世話係さんもその一人でした。
私が案内された地下の倉庫には、驚愕に価する膨大な史料が架蔵されていました。明治初期の官営期の引継文書から1960年代に至るまで、総務課、秘書課、勤労課をはじめ各課ごとの史料が整理されていました。
1968年11月、三井文庫へ寄託された「三井鉱山株式会社三池鉱業所旧蔵資料」はその一部にすぎませんが、その内で「三池鉱山年報」は私にとって忘れ難い一冊となりました。
「三池鉱山年報」は『福岡県史近代史料編』(1982年〔昭和57〕)に収録されておりますが、編纂過程でこの年報が数奇な運命をたどったことを学びました。
「年報」は第1次(1873年〔明治6〕7月)~1873年(12月)から第17次(1888年〔明治21〕4月~1889年3月)まで編輯されております。
「三池鉱山年報」は先の三井鉱山株式会社所蔵本(三池652、653)と三井文庫所蔵の南三井家本(追2196-1、追2196-2、追2196-3)に大別できる。両本は元来、一揃であったが、払い下げ後、何らかの事由で1組が南三井家へ渡ったと推測されます。
その後、年報は幾人もの手で筆写されており、またそれに付随する文書も加えられてます。「三池鉱山年報」をめぐる官営期三池炭鉱の実像は謎解きゲームように人々の想像をかきたててやみません。
(日本大学名誉教授)