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民間外交のおもてなし-英国皇太子の饗応-

田沢 裕賀
民間外交のおもてなし-英国皇太子の饗応-
歓迎晩餐会準備手記 英国皇儲殿下歓迎晩餐会関係書類ノ内(追2195-3)
民間外交のおもてなし-英国皇太子の饗応-

大正11年4月21日、イギリス皇太子エドワードが三井高棟の今井町邸に招待された。前年イギリスを訪問した裕仁皇太子の答礼の一環として、宮内省から三井家に饗応の依頼がなされたのである。当日の晩餐会のために、延べ1万6500人の職工が動員され、饗宴場が新築された。当日の様子と準備の概略は、『三井八郎右衛門高棟傳』に記されている。「英国皇儲殿下歓迎晩餐会関係書類」(追2195)は、この晩餐会に関する記録をまとめたもので、晩餐会並びに夜会次第、招待者と係員役割、当日演じられた能の「紅葉狩」を五線譜に直した楽譜や英訳の草稿、関係新聞記事切抜綴、献立表など、11件が含まれている。

「歓迎晩餐会準備手記」によると、最初に、三井物産を通じシベリアからキャビアを取り寄せた。次いで、支笏湖の鱒とザリガニを求め、鱒は王子製紙を介して北海道庁の尽力により晩餐会に間に合ったが、ザリガニは気候の関係で手に入れることが出来なかった。その他の材料は大体手に入ったと記され、4月4日に試食会が行われ、その意見をもとに献立を決めることとなった。ところが、その後宮内庁筋からエドワード皇太子が宴会続きで胃を痛めているので、食事はなるべく簡単にとの注文が入り、オードブルとフォアグラが無くなった。煙草も大変で、煙草専売局の許可を得て三井物産がアメリカに電報を打って手に入れた。赤ワインは試食会で問題になり、宮内省からシャトーマルゴー1893年を2箱貰い受けている。ほかにも様々な取り寄せを行っている。料理人給仕人は、警視庁技師の診療を受けて合格した者のみが採用された。エドワード皇太子は、あまり食事を召し上がらないとの注意を受けたが、当日は全部召し上がり、酒も進んで上機嫌であったという。なお、試食会の折りには、支笏湖の鱒は手に入らず十和田湖の鱒を使い、キャビアは缶詰を使ったことが最後に記されている。

饗宴当日の記録は残るものの、その準備の大変さはなかなか残らない。日本人の「おもてなし」の心は、準備段階にこそあるだろう。三井文庫別館時代に、室町三井家の御道具寄贈準備で箱根「松の茶屋」に通った頃、石に打った水の具合を気にし、露地の葉の一枚一枚を拭いていた三井姿子さんのことが偲ばれる。文化とは、記録には見えにくいものだとつくづくと思う。

(東京国立博物館)

民間外交のおもてなし-英国皇太子の饗応-
歓迎晩餐会準備手記 英国皇儲殿下歓迎晩餐会関係書類ノ内(追2195-3)
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