三井越後屋の買宿制度-呉服仕入れの競争力-
私の取り上げる「三井文庫史料私の一点」は、「伯州買方控」(別1722)である。この史料から、三井越後屋の伯州での買宿制度のことがわかる。三井文庫において、この史料を拝読させていただいた時に、こうした史料について貴重と考え、現代まで丁寧に継承・保存されていることを知った。三井越後屋が、三井グループとして江戸時代から連綿と続くその理由について関心が集まっているが、こうした日常の経営の記録を貴重に思い、三井文庫で現在まで保存・管理されていることにこそ、現在まで経営が継続している秘密の一つがあるのではないかと思った。しかも200年以上も経ているにもかかわらず、和紙で墨書きされた古文書の保存状態はすこぶるよい。こうした日々の経営の記録を大切にする姿勢に、現代日本の企業の学ぶ所は多大である。
ところで、伯州の買宿について言えば、三井越後屋では、幕藩体制下における流通機構が支配している中において、企業家精神を発揮して、江戸から遠くはなれた伯州に買宿制度を導入した。買宿制度とは、三井越後屋が創出した流通取引制度で、資本的に独立的である産地の有力商家を系列内に組み込むことで、仕入量を確保していく方法のことであり、とりわけ仕入れの戦略拠点としたのが、伯州である。
三井越後屋は一から買宿を育成し、「伯州買方控」によれば、伯州木綿の注文高は、寛政8年(1796)6万反、寛政9年(1797)7万反に達し、一大調達拠点として成長していることがわかる。しかも、取引先である買宿とは協調的な関係を大事にし、長期継続的な取引関係を志向していった。一貫して買宿との結びつきを大切にしていくなかで、仕入活動が行われていたのである。このことは、競合呉服商の参入障壁にもなっていた。
日本では、こうした義理人情を重んじる三井越後屋のビジネス・モデルが他の商家にも波及し、江戸時代から定着しているため、アメリカ型マーケティングは日本でスタンダードにはなりえず、日本型マーケティングとして進化・発展を遂げることになる。
(摂南大学経営学部教授/日本経営史)