1. HOME
  2. 私の一点
  3. 情報の三井-京都に残された「御張紙値段」-

私の一点トップへ

情報の三井-京都に残された「御張紙値段」-

末岡 照啓
情報の三井-京都に残された「御張紙値段」-
御張紙値段(続1765)
情報の三井-京都に残された「御張紙値段」-

三井文庫に三井京両替店が記録した「天明八戊申年ヨリ御張紙値段」(続1765)が残されている。筆者が札差研究の一環として御張紙値段の調査をしていたとき、札差仲間ではない三井家が、京都の両替店でなぜこれを記録したのかと、たいへん不思議に思った経緯がある(拙稿「天保の無利息年賦返済令と札差」『国史学』第116・117号 1982年、同「近世蔵米知行制の確立過程」『近世社会と知行制』思文閣出版1999年)。

御張紙値段とは、江戸幕府が旗本・御家人など蔵米取り幕臣団に支給する知行米・役料米について、その米金支給割合と換金値段および支給期日を記した張紙を、春・夏・冬の三季に(当初は夏・冬)江戸城内の中之口に掲示したものである。旗本等はこの換金値段によって、代行者の札差から俸禄米金を受けとったので、御張紙値段はその換金値段というのが本来の意味である。ところが、享保10年(1725)以降は幕領年貢米の皆済目録に石代値段(代納値段)として採用され、幕府の公定相場としての意味合いが加わったと考えている。

おそらく、三井京両替店では幕府の公定相場である御張紙値段(米35石の金値段)を京相場と比較するため記録したのであろう。そのため、米1石の銀値段とその換算に用いた金1両の京銀相場を併記し、天明8年(1788)から慶応3年(1867)まで部内用の符帳で書き継いだ。一橋大学附属図書館に残る「御張紙之控」(札差伊勢屋村林家旧蔵)と共に、商家に残る双璧の史料である。

明治になって三井家史編纂室では、この複製本を作成し(D442-72)、符帳には朱書きで実値段を注記した。さらに姉妹編として、勝海舟編「吹塵録」所収のものを筆写した「張紙値段」(D442-71)を編纂し、ほぼ全期間(承応元年~慶応3年、1654~1867)を通覧できるようにした。江戸時代の三井家は、江戸・京・大坂の三都に店舗を有し、金銀・諸相場に通じていた。情報の三井たるゆえんである。その伝統は、家史編纂室から三井文庫へと引き継がれ、三井文庫編『近世後期における主要物価の動態』(1952年日本学術振興会初版、1986年東京大学出版会改訂増補版)として結実している。

(住友史料館副館長)

情報の三井-京都に残された「御張紙値段」-
御張紙値段(続1765)
情報の三井-京都に残された「御張紙値段」-