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越後屋の来店者数の記録

下向井 紀彦
越後屋の来店者数の記録
四店御人入控(本1001)
越後屋の来店者数の記録

呉服店である越後屋では、近世中期以降の競合他店との競争が激しくなる中にあって、自他店の来店者数を意識していた。店先売を標榜する呉服店にとって、店頭の賑わいは店の盛衰の目安になる。越後屋の京本店(呉服部門の統轄店)は、江戸と大坂の各営業店(江戸本店・向店・芝口店、大坂本店)に対して定期的に来店者数を報告させていた。また、他店との競争の激しい時期に、越後屋の各営業店と江戸・大坂の主要呉服店の来店者数を記録した史料もある。

「四店御人入控」(本1001、以下人入控)は天保4年(1833)から安政2年(1855)の23年間、江戸と大坂の営業店の来店者数を、京本店で記録した冊子である。月日を入れた刷り物の集計用紙に毎日の人数を符帳で記載している。残念ながら競合他店の数値等は書かれていないが、越後屋の数字が継続的に長期間残っている点において唯一の史料である。人入控の数字を見ていくと、長期的な来店者数の増減傾向やイベント時の数字の変化などを一見して把握できる。例えば、大坂本店の天保11年11月8日を見ると、それまで「サシ」(50)~「ヱシ」(70)人前後で推移していた来店者が、突如「イ仙サ舟」(1500)人に跳ね上がっている。これは同店が大塩の乱で焼亡した店舗を再建し、見世開きを盛大に挙行したためである。人入控はこれまであまり活用されてこなかったが、帳簿類・日記類・書状類・重役らの意見書などと組み合わせることで、人入控の数字が越後屋の経営戦略や重役の経営判断に与えた影響など、小売店としての越後屋の姿をより詳しく描き出すことができるだろう。

ただし人入控は注意すべき点がいくつかある。例えば、明和年間の調査では江戸本店内の部署別に来店者を数えており、天明年間には昼八つ時(14~15時頃)に手代を競合店に送って店頭にいる人数を数えるよう定めているのだが、人入控段階の調査基準やルールは判然としない。まずそれを把握する必要がある。また、人入控に数字がなくても店の日記では開店している場合もあるらしく(論叢40号所収の樋口知子史料紹介)、来店者数の記載と店の営業日との突き合わせも必須である。簡単に利用できそうにみえて、扱いの難しい史料なのである。

(三井文庫研究員)

越後屋の来店者数の記録
四店御人入控(本1001)
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