文化の宝庫「高祐日記」
三井文庫に席を置いた私にとって、史料や書庫は身近で大切な存在だった。その中からの一点選択は難しく、迷いながら表題史料を選んだ。
日記の書き手高祐は、三井総領家(北家)6代目当主で、三井家代表名前八郎右衛門を37年も名乗り、個性豊かに80歳を生きた人物である。日記は高祐後半38年間寛政11~天保8(1799~1837)年の1年2冊77冊の厖大な記録群である。筆跡は線の細いやや骨ばった特徴ある字体で、終始乱れがない。最晩年の数冊は異筆である。本拠地である京都での記載が中心であるが、大坂・和歌山・松坂・江戸等への出先でも道中および滞在中の記録が京都同様に変わることなく記されている。後世に残すことを意識して書いたものであろうか。
内容は多岐にわたり、日付や天候に始まり、入来者、外出先、到来物、贈り物(値段入多し)、書簡、親族の慶弔や動静、茶の湯と茶道具、道具入札、絵と絵師、和歌、能・芝居見物、事業関係(比較的記述少なし)、特記事項等である。それらに関わる人物も親族や商人、公家、武家、茶宗匠、道具商、絵師、医師、僧侶、古筆家、能楽師、刀鍛冶、千家十職、検校等多彩である。この多彩な人脈も道具類を介してでき上がった面もあるように思われる。
全体的にみると、茶の湯は数量的にも多く、8世から10世の表千家宗匠を始めとして多種の人達と茶会を楽しみ、茶道具を見せ合っている。その中には紀州治宝候や松平不昧候への上茶も含まれている。茶会記を取り出せば優に一冊にまとめられる。また有名無名職業等も問わず、多くの人名が記載されている。全体ではどれ程の数になるものか。その解明は今後に委ねたい。
日記を通してみて、江戸時代の商習慣なのであろうが、贈答の多さには驚かされる。役人や藩主などの公的部分のみならず、私的な贈答も日常茶飯事で、それなしには成り立たない社会、虚礼の時代ともとれよう。それが感想の一部である。
個人の日記ではあるが、19世紀初頭の江戸時代文化事情の一端を窺い知ることができる貴重な史料群であることは間違いない。日記全体の復刻は出来ないものであろうか。
(元三井文庫職員)