綱町三井倶楽部の象彦蒔絵の来由を探って
三井文庫には、経済史や日本史に関する史料のみならず、三井家と美術や文化の関係を知るうえで有益な史料も残されています。通常、美術品はその資産的価値から、譲渡や売買が繰り返され、様々な所有者の手を経て現在に伝えられています。つまり作品が制作時の持ち主の手を離れてしまっていることが多く、制作の詳しい状況、注文主、価格などの情報が失われていることがほとんどで、その調査には多大なる労力が必要となるのです。当財団のように、歴史資料と美術品がひとつの機関で保存・管理されていることは、大変貴重かつ幸運なケースだといえます。
2011年9月~11月に三井記念美術館で開催した特別展「華麗なる〈京蒔絵〉-三井家と象彦漆器」の準備をするなかで、東京・三田の綱町三井倶楽部の室内装飾に「葵祭・祇園祭蒔絵衝立」・「遊鯉蒔絵額」(現在は三井記念美術館に寄託)など京都の漆器商・象彦の蒔絵が使用されていることを知り、展覧会への出品を依頼すると同時に関連資料の調査に着手しました。
三井家綱町別邸(現、綱町三井倶楽部)は、イギリス人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)の設計により、大正2年(1913)に建築された三井家の本格的な迎賓館で、各国大使や事業家、学者など外国人の賓客を招いた晩餐会や茶会などが頻繁に開催されました。そこで三井合名会社秘書課「議案㈠」をひもとくと、昭和10年6月14日条に2点の蒔絵額に関する記録が見つかり、「遊鯉蒔絵額」が京都の蒔絵師・戸島光孚の作で9000円、「宇治川先陣蒔絵額」が京都の蒔絵師・瀬川嘯流の作で1600円と判明し、当初より綱町別邸の備品として購入されたことも明らかになりました。
さらに三井合名会社文書課「議案目録」の記録により、大正12年(1923)頃から蒔絵硯箱や青磁浮牡丹大花生などの日本・東洋の伝統的な美術品に加え、ロダンの彫刻や油絵などの西洋美術が、三井家綱町別邸の備品として購入されていることが確かめられました。これにより三井家綱町別邸が、日本・東洋の美術と西洋美術が共にひとつの建築空間を装飾する、和洋折衷の室内調度様式であったことも解き明かしてくれたのです。
(三井記念美術館主任学芸員)