三井物産業務日誌「日記」
大学院生の時、初めて三井文庫を訪問した私は、司書さん(たしか大塚陽子さんだったと思う)に「明治12年の三井物産ニューヨーク支店発足の経緯を示す史料を見せていただけませんか」というようなお願いをした。司書さんはしばらくして物産の業務日誌である「日記」を書庫から持って来て、該当箇所を示して下さった。これが私と「日記」の出会いであった。私の問い合わせへの司書さんの対応の素早さもさることながら、明治期の一企業の詳細な業務日誌が体系だって残されていることに大変驚いた。自分がくずし字を読めないと痛感したのもこの時であった。
その後くずし字を読む手ほどきを受け、恩師の安岡重明先生と益田孝「備忘録」(写本)を一緒に読む作業を進めたりして、だんだんとくずし字に慣れていきながら、文庫に赴いた際には物産「日記」を何度となく閲覧した。益田孝は物産の前身である先収会社の時から上記の「備忘録」を書き留めていたが、「備忘録」と「日記」は体裁が似ているから、おそらく物産開業後に益田が社内に日々の出来事を備忘的に書き留めておくよう指示したのであろう。「日記」は特に物産創業期数年については、社長益田孝、副社長木村正幹など少数の人によって書かれたようである。
私は「日記」の益田が書いた部分はある程度読めるようになったが、木村正幹が書いた部分は悪筆でまったく読めなかった。読む気にもならない程悪筆であったという方が正確である。しかしその後、文庫の樋口知子さんや古文書の達人たちが「日記」を読みこなして『三井文庫論叢』第41~43号で物産創業から明治11年2月までの部分を史料紹介として公表された時には、あの木村の悪筆部分までよく読みこなされたものだと驚嘆した。
「日記」には取引上の事項はもちろん、来店した人物とか、宴席を開いて誰を招待した等々の記述がふんだんに盛り込まれており、当時の物産の活動を読み解くには非常におもしろい史料である。特に明治前半期の物産の史料が限られるだけに、その価値はきわめて高いといってよい。今後も何らかの方法で翻刻・公表されることを切に願っている。
(関西学院大学)