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高橋是清の『談話速記録』

神山 恒雄
高橋是清の『談話速記録』
高橋是清氏談話速記原稿(W-4-685)
高橋是清の『談話速記録』

私は卒業論文執筆の際から三井文庫を利用させていただいているが、主として明治期を中心に財政・金融政策を研究してきたため、三井銀行の史料に加え井上馨の伝記編纂史料を閲覧することが多かった。この伝記編纂史料には関東大震災で焼失した大蔵省旧蔵史料の写しが残されていることが有名であるが、それ以外に井上ゆかりの人物にインタビューした『談話速記録』が数多く含まれており、修士論文の準備中に読み込んだことを覚えている。

そのなかで印象に残っているのは、高橋是清のものである。現在私の手元には、「高橋是清氏談話速記原稿」(W-4-685、1929年1月28日)と「高橋是清氏・森祐三郎氏・渡辺千冬氏談話速記録」(W-4-710、1931年12月3日)の2点の複写があるが、その内容は『高橋是清自伝』(千倉書房、1936年)と重複するところが多い。ただ『自伝』の記述が1905年末で終わっているのに対し、『談話速記録』は鉄道国有化・日仏銀行設立などそれ以後の問題にも触れている。とくにW-4-685で高橋は、1913年2月に日本銀行総裁から第一次山本権兵衛内閣の大蔵大臣に就任して政友会に入党した際に、「あれ丈、かばって呉れた井上侯に対して、一身上の進退に付て、何等井上侯に意見を尋ねず、御相談をしなかったと云ふことは、井上侯としては、余程不快に感じられた」と述べている。井上に相談しなかったことについて、高橋は「一身上の事に就ては、迷惑を掛けない、と云ふのが自分の信条」であると弁明しているが、これは第二次桂内閣のころから、政党の勢力拡大に加え大蔵大臣を兼任した桂が大蔵官僚や実業界との関係を強化するなかで、経済政策に対する井上の影響力が低下していたことを象徴的に示す出来事ではないかと考えたのである。

(明治学院大学)

高橋是清の『談話速記録』
高橋是清氏談話速記原稿(W-4-685)
高橋是清の『談話速記録』