一点の史料から判明した大牟田の電力融通システム
私は長い間に亘って戦前期日本における石炭産業史、とくに筑豊炭鉱労資関係史の研究に従ってきたので、三井文庫にはたいへんお世話になった。それだけに石炭関係で「私の一点」を選ぶことは難しいので、エネルギー関連ということで、その後取り組んだ電力関係の史料を選ぶことにした。
私が三井文庫を初めて訪れたのは、大学院修士1年の1972年10月12日のことであった。東大の安藤良雄・原朗両先生合同ゼミの大学院授業は「資料調査」の方向で行うことになり、その一環として三井文庫を見学したのである。当時三井文庫研究員だった松元宏氏が三井文庫の概要及び所蔵史料の説明に当たられ、質疑応答が行われたことを記憶している。この見学によって企業の一次史料の重要性について、改めて認識を深めることができた。その後、筑豊の研究を進めることになり、三井文庫架蔵(当時)の三井鉱山資料の閲覧について、三井鉱山本社の閲覧許可をとり、それからずいぶん三井文庫に通うことになった。
さて、「私の一点」は石炭関係ではなく、電力関係の史料で、三井鉱山三池鉱業所の『九水受電関係』自昭和8年至昭和11年(三池1174)という史料綴りである。企業間の電力融通の仕組みがよく分からず困っていた時に出会ったのが、この史料綴りであった。この史料綴りには「三庶発第一三〇一号」の電力関係6社の電力融通に関する6枚の書類が綴じられていた。これらの史料には、九州水力電気より3社を経由して三井鉱山に融通された電力について、電力振替方法及び料金支払方法などが示されており、それらを読み解くことで、大牟田地区の電力融通の仕組みがよく理解できた。この研究は、拙稿「昭和戦前期の大牟田地区における電力需給関係」(荻野喜弘編著『近代日本のエネルギーと企業活動』日本経済評論社、2010年)として発表した。
(九州大学名誉教授)