1. HOME
  2. 私の一点
  3. 「相対済まし令」に取り組んで

私の一点トップへ

「相対済まし令」に取り組んで

宇佐美 英機
「相対済まし令」に取り組んで
棄損御触発布内密通知状(本1483-13-7)
「相対済まし令」に取り組んで

40年近く三井文庫に通い、その折々の関心で膨大な史料を閲覧し、複写していただいた。退職を前に研究室を整理した際に、せっかく複写していただいたにもかかわらず、いまだ未使用のものが多いのには内心忸怩たる思いを禁じ得なかった。これからのんびりと解読したいと思う昨今ではある。それはそれとして、私が最も心に残る史料は、享保4年(1719)11月に江戸で発布された相対済まし令に関して通説を検討していた際に見つけた「棄捐御触発布内密通知状」(本1483-13-7)である。

この史料によって、江戸で相対済まし令が発布される1か月前に三井家では、どのような公事銘が当該令の対象になるのか、すでに情報を得ていたことが明らかとなった。それゆえ、享保4年令が全国に貫徹した惣触であるかのように理解されていた通説に対して、京都町中に発布された町触の検討によって疑問を抱いていた私にとっては、自説を補強する内容を含むもので意を強くした。しかし、それ以上に衝撃を受けたのは、三井家の情報収集能力というか、情報収集網の幅広さであった。この情報は直ちに京都へも伝えられているが、おそらくは相対済まし令の対象となる金銀出入については、異なる証文に書き換えて債権回収に備えたものと推測できるのである。

右の史料から、金銀出入に際して商家は、債権回収のためには常に情報収集を行っているということを前提にして、関連史料を集めて読み解くことの重要性を学んだのである。前掲史料を利用した考察は、拙著『近世京都の金銀出入と社会慣習』(清文堂、2008年)に収録することができ感謝する次第である。

(滋賀大学経済学部名誉教授)

「相対済まし令」に取り組んで
棄損御触発布内密通知状(本1483-13-7)
「相対済まし令」に取り組んで