町触から始まった研究生活
初めて見た三井文庫所蔵史料は三井本店本の触留だった。当時、京都町触研究会が町触を集成すべく保管していたコピー本を、読み会に参加して初学者として解読練習に利用させてもらっていた。触留は、現代で言えば六法全書に載るような法律から町内の回覧板の諸注意まで、都市生活の万般を知ることができる好史料であり、近世特有の用語や知識の獲得にも大いに役立った。以来、京都町触との付き合いは40年を越えた。
思い出深いのは、自らが『京都町触集成』補遺編纂のため調査収集にあたった三井勘定場本の触留(別836、887~905、949)である。勘定場はもと御用所と称し、貞享4年(1687)に京本店内に設けられたが、元禄5年(1692)に二条油小路町西側の三井高平邸(北家)の店表に移転し、江戸時代を通じて同所にあった。触留は2冊を欠くが、23番まで宝永5年(1708)から明治6年(1873)におよんでいる。書役手代の勤勉さを感じ、営業上必要な他都市の法令まで含むという大店記録の特性も知ることができた。はじめ所在地の二条油小路町から伝達された触以外のものがあったことが理解できなかったが、集積を進めた広大な北家居宅が隣町にまで及ぶと知って謎は解けた。隣の矢幡町からもたらされた触であり、町界を越える三井はやはり大家であった。
なおこの触留は、ちょうど株仲間停止時期の部分を欠いている。残念ながら、その理由は未検討なままである。
(日本近世史)