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三井文庫所蔵の戦国大名佐々木六角氏文書

村井 祐樹
三井文庫所蔵の戦国大名佐々木六角氏文書
佐々木義賢承禎書柬(書22)
三井文庫所蔵の戦国大名佐々木六角氏文書

三井文庫には数点の中世文書が存在する。いずれも三井家がその出身地と認識していた近江に関するものである。明治~大正期の三井文庫が黒板勝美をはじめ、東京帝国大学史料編纂掛と近かったことを勘案すると、黒板らと親交の深かった近江の郷土史家中川泉三が仲介をして、三井家に入ったものと考えられる。その中から筆者の専門である戦国大名六角氏発給の文書を紹介したい。

(釈文)
誠昨日者面談、本望至候、」仍伊崎寺会式之事、各」乍御苦労御再興、尤以」珍重候、聊不可有疎略候、」猶池田宮内丞・進藤新介可」申候、恐々謹言、
七月十八日義賢(花押)
三院行者御中

本文書は、拙編の『戦国遺文佐々木六角氏編』にも未収録(含:補遺編)の新出史料である。年代は「進藤新介」が賢盛と推定できることと、義賢の花押形から、おおよそ弘治年間(1555~1558)前後のものと思われ、宛所の「三院行者」から、もともとは近江葛川明王院(現大津市)に出された文書と見てよい。明王院は比叡山延暦寺の末寺で、修験道の道場として栄えた寺院である。内容は、明王院と琵琶湖をはさんだ対岸にある同じ修験寺院である伊崎寺(現近江八幡市)の会式再興について、明王院側が六角義賢に援助を求めたものである。明王院の近江国内修験寺院に対する影響力を読み取れると共に、六角氏にその援助・保証を求めていたことが明らかになる。このような事案は従来ほとんど未解明であり、本文書は極めて重要な文書である。

(東京大学史料編纂所助教)

三井文庫所蔵の戦国大名佐々木六角氏文書
佐々木義賢承禎書柬(書22)
三井文庫所蔵の戦国大名佐々木六角氏文書