紀州藩公金為替と松坂家初代三井孝賢
「紀州様御用筋覚書」は享保3年(1718)に作成された紀州藩の江戸為替の史料である。大名が江戸に送金する際に商人を使って為替送金することを江戸為替とよんでいる。先行研究では享保8年(1723)に大坂・江戸間の為替を殿村(米屋)平右衛門が勤めたのが、江戸為替の創始とされる。その5年前に松坂・江戸間の江戸為替が行われていたことが明らかになる史料である。
紀州藩では国元から1年間に5000貫ないし6000貫の銀を送金していた。また、紀州藩領内では材木・炭・蜜柑などの産物を江戸で販売していた。その販売代金と紀州藩の江戸への送金を為替で相殺することで、藩は巨額の現銀輸送を行う必要がなくなった。紀州藩は、松坂の三井家(三井孝賢)に現金を渡し、60日を期限に江戸で現金を受け取ることができた。三井家が大坂・江戸間の幕府公金為替をはじめたのは、元禄4年(1691)のことであり、この方式を江戸為替に取り入れたものと思われる。幕府の為替御用を勤める三井家に大切な藩の公金を預けることができると紀州藩の信用が得られたのであろう。
松阪市出身の私は地元のことを研究しようと、卒業論文で三井家の経営を、修士論文で三井家の幕府公金為替をテーマとした。「毎週金曜日は三井文庫の日」と決めて、史料閲覧に通っており、そこで発見したのがこの史料である。初期の江戸為替と三井松坂店の役割や三井家連家を考えるうえで重要な史料と思った記憶がある。よく調べてみると『和歌山県史』(近世史料一)に収録されており、のちに『三重県史』(資料編近世四上)にも掲載された史料である。
(日本福祉大学)