関東大震災に耐えた安政の江戸地震記
今から30年近く前になるが、『三井事業史』編纂のアルバイトをしていた際に、「安政乙卯武江地動之記」(乾坤2冊)の存在を知った。
この史料は、江戸の神田雉子町の名主であり、「江戸名所図会」や「武江年表」の著者でもある齋藤月岑(市左衛門)が、安政の江戸大地震の直後に、自ら見聞した市井の情報をまとめたものである。以前私なりに調べた際に、いくつかの異本があり、『江戸叢書』第9巻や『日本地震史料』、『日本庶民生活史料集成』などに活字化もされているが、内容に多少の異同があり、定本がないようであった。その中で三井文庫所蔵の「安政乙卯武江地動之記」は、月岑本人による補足や訂正の書き込みがあり、手沢本として大変貴重なのだが、そのことはあまり知られていないと思われる。当時、修士論文作成のために「齋藤月岑日記」の解読に四苦八苦していた私は、日記とは全く異なるその丁寧で整然とした筆跡に驚いたものだ。
安政2年10月2日夜に江戸を襲った大地震は、直下型と推定され、死者は1万人近くとも言われた。「安政乙卯武江地動之記」には、町方、武家方の被害状況をはじめ、地震の前兆とみられる自然現象、町会所による御救いに関する記事や、神田の地から見た四方の出火の絵など様々な情報が記されている。震災後、流言蜚語を含む多くの瓦版や錦絵、綴本の類が巷に溢れたが、月岑は大げさな表現や感情を抑え、各聞書に提供者の名を記し、後に内容の誤りに訂正を入れるなど、情報を冷静かつ忠実に伝えようとしている。出版はされなかったが、巻末には「安政乙卯霜月三日一挍畢」とあり、震災後の混乱の中で名主の職務に奔走しながらも、わずか一月でこの第一稿本を書き上げたのだった。
本書には、新町三井家九代高堅の蔵書印及び、巻末に「大正十三年所得」の印がある。前年の12年には関東大震災が起きており、地震の被害や恐怖は記憶に新しく、後世に残すべき貴重な記録として求められたものであろう。この史料が生まれて初めての大地震をどこで体験したのかは分からない。よくぞ焼けずに残っていてくれたものである。
(日本近世史)