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『三井物産支店長会議議事録』の思い出

藤井 信幸
『三井物産支店長会議議事録』の思い出
三井物産「支店長会議議事録」(物産198)
『三井物産支店長会議議事録』の思い出

かれこれ四半世紀以上も前の話である。電信・電話の歴史に関する研究が手薄なことに目を付けた筆者は、電信・電話事業を管掌する逓信省関係の公文書を漁るとともに、民間企業の電信・電話利用に関する経営資料の探索に着手した。前例となる論考は皆無に等しく、それゆえ、その種の経営資料は手つかずのまま大量に眠っているに違いないと一人ほくそ笑みながら、首都圏はもとより地方、さらには米国にも足を延ばし、資料の渉猟を続けた。結局、期待したほど”大量”の資料は発見できなかったものの、それでも実際に使用された電報やその控え、あるいは日記、書簡の類をある程度入手しえた。その使用法に思いを巡らし心を踊らせながら論文の構想を練ったことが、今では懐かしい思い出となっている。

最も痛快だったのが『三井物産支店長会議議事録』との遭遇である。すでに19世紀~20世紀初頭において世界各地に支店を設置しグローバルな取引網を形成していた三井物産では、本店-支店間の海底ケーブルを利用した電報によるコミュニケーションが非常に活発であったろうと、あらかじめ推測していた。推測は的中し、三井文庫で手にした『支店長会議議事録』を通じて、第一次大戦期とその直後の機械取引をめぐる商社間競争における電報の役割をつぶさに知ることができたのである。他のライバル商社、とりわけ鈴木商店は情報機能が優れており、ユーザーの要望に迅速かつ的確に応じていた。そのため三井物産としても対抗上、情報機能を強化させる必要性がある、といった内容の発言が繰り返されていた。今振り返ってみて、当時の興奮がまざまざと蘇る。資料の利用者として、このように貴重な資料が現存し、かつ閲覧が容易なことは、ただただ感謝の一語に尽きる。

(東洋大学)

『三井物産支店長会議議事録』の思い出
三井物産「支店長会議議事録」(物産198)
『三井物産支店長会議議事録』の思い出