浮世絵研究と経済史資料
本資料は、長崎に入港したオランダ船が本方・脇荷として取引した商品名と取引量、落札額および越後屋の入札額等を記した記録である。「イ印荒物類」に9品目、「ロ印小間物類」に11品目、「ハ印薬種類」に19品目の計39品目について分類・整理されているが、本稿では「ロ印小間物類」中の「十番紺青」について述べたい。
紺青は化学合成青色絵具であり、今日では一般的にプルシアンブルー、あるいは浮世絵研究においてはベロ藍の名で呼ばれている。ベロ藍は葛飾北斎「冨嶽三十六景」や歌川広重「東海道五拾三次之内」の著名な風景版画シリーズをはじめ、幕末の浮世絵版画の基調色となっている(樋口一貴「藍摺浮世絵版画に関する一考察-葛飾北斎と渓斎英泉のベロ藍摺風景画をめぐって-」『出光美術館館報』第90号、1995年)。
この顔料が日本に輸入された記録は延享4年(1747)に遡れるが、当初は極めて高価であった。浮世絵版画という印刷物に使用されるようになるのは、価格が下落した文政年間末のことであり、これ以降浮世絵にベロ藍を使用した風景画ブームが起こるのである。オランダ船から輸入された紺青について、「荒種荒物寄」(杏雨書屋所蔵)をもとに年ごとに取引量と落札価格等を詳細にまとめた「紺青の落札一覧表」(石田千尋『日蘭貿易の構造と展開』60~65頁、吉川弘文館、2009年)は、浮世絵の一ジャンルの流行が貿易史と密接に関連することを示している。
「阿蘭陀物直寄控」の数値はおおむね「荒種荒物寄」にも見られるものである。しかし、享和2年(1802)に「脇荷」として「拾弐斤」の輸入量があり1斤あたりの落札価格が「96匁」であったことは、「荒種荒物寄」には記載がなく「阿蘭陀物直寄控」のみに記されている。先行研究への僅かな追加であるが、プルシアンブルーの輸入に関する新知見としてここに紹介するものである。
(十文字学園女子大学/日本美術史)