『業務総誌』の迫力
今から40年ほど前、三井文庫に通って資料を拝見させて頂いたことがある。何の研究成果もあげられずまことに申し訳ないが、その頃のことを思い出し、この文を綴らせて頂くことでせめてもの責を塞ぎたい。
当時は『三井事業史』本編第3巻の企画が進行中で、三井文庫の館長から私には主に戦時期の資料を見ながら事業史の企画をお手伝いするように、という役割が与えられていた。その任務も私には果たせなかったのだが、文庫の資料の奥深さは近代史資料に限っても凄いものだった。
そのなかで私がもっとも迫力を感じたのは三井物産の『業務総誌』(物産2673)である。「業務の総てを誌す」という題名もさることながら、記述の内容が伝える業務の世界各地にわたる範囲の大きさには、圧倒される思いで夢中になって耽読した。当時文庫におられた春日豊氏に水先案内をお願いできるという贅沢な環境で、文庫に入る前に下勉強として読んでいった『三井物産株式会社沿革史』全8冊の総論的な叙述を『業務総誌』で詳しく見ていけることにはまことに興奮した。
かつて学生時代に全国各地の銀行史を読み漁って産業別貸出データを探していたころ、『三井銀行八十年史』の整った叙述に感心して池田成彬の『財界回顧』に読み進み、その経営手腕に一驚したことがあったが、文庫に所蔵される資料のそれぞれには、数多い三井各社のたくさんの経営者や従業員の日々の労働が息づいていることを坦坦とした記述の中に実感させるものがあった。
日本の戦時経済を勉強してきた私にとっては、『業務総誌』を中心に戦時期日本の貿易活動を、対外為替決済が外貨による時期と円貨による時期とを対照させ、特に前者を重点に検討したいという希望をもっていたが、今は『三井事業史』第3巻中・下で十分にそれを読むことができ、春日豊氏の『帝国日本と財閥商社』に迫力満点の記述がある。同書の注を読むたびに、文庫に通った日々と史料のもつ魅力を懐かしく思い出す。
(東京大学名誉教授/東京国際大学名誉教授/現代日本経済史)