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『手形帳』から見える幕末三井の近代的金融活動

石井 寛治
『手形帳』から見える幕末三井の近代的金融活動
手形帳(追69)
『手形帳』から見える幕末三井の近代的金融活動

近世両替商の活動については、大坂の鴻池善右衛門家や京・大坂・江戸の三井両替店の帳簿史料による実証があるが、幕末における両家の活動がどのように近代日本の経済発展に繋がったかは必ずしも明らかでない。大名貸に特化した鴻池一族は、大名家の経済を支えて利益を挙げた反面、民間金融とは縁が薄くなっており、近代においては大名貸の回収金をもとに鴻池銀行を作ったとはいえ、財閥を形成することはなかった。三井一族の場合は、大名貸への進出を抑えつつ、大坂の幕府御金蔵銀を無利子で利用した大坂商人・両替商への「延為替」貸付を行い、開港後の横浜でも幕府の依頼で「商品担保」貸付を行ったが、間もなく損失が重なって行詰まり、近代に入ってからの明治政府の官金預かりを契機にはじめて巨大な資本を蓄積して財閥への道を歩んだとされてきた。

三井大坂両替店の研究で不思議なのは、大坂商人間の手形決済が幕末にかけてますます盛んになったのに、「手形方」の項目を欠いた「勘定目録」の数値のみを並べて民間金融の行詰まりが論じられてきたことである。それは近世の手形裏書が不渡りの場合にも責任を負わなくて済んだために、手形取引は貸付一般とは別個の世界の出来事と見なされたためであろう。三井文庫に数冊残されている『手形帳』によれば、慶應2年末の大坂両替店は7軒の両替商との手形のやり取りの結果、差引きで銀6663貫の手形資産を擁していたが、これは「勘定目録」記載の「延為替」貸付8349貫の80%に相当する。当時の三井大坂両替店は、江戸・横浜との送金・取立為替を含めてますます活発化する大坂手形市場における決済センターの役割を果たしており、幕末大坂の近代に向う金融活動の牽引車であった(拙著『経済発展と両替商金融』有斐閣、2007年)。幕末経済の再検討を緊急課題と考える所以である。

(東京大学名誉教授)

『手形帳』から見える幕末三井の近代的金融活動
手形帳(追69)
『手形帳』から見える幕末三井の近代的金融活動