タイプライターは身体と文章を繋げうるか?
1918(大正7)年7月11日、三井物産の造船部長・川村貞次郎は、同社の三井(源右衛門)社長に一通の書簡(物産322―3所収)を送った。「神戸三井物産株式会社造船部」の用箋にタイプライターで書かれたもので、差出人として「川村」の名は記されず「造船部長」という肩書きのみが記されていた。「三長丸」という鋼船が竣成し船舶部への引き渡しが完了したことを報告し、合わせて現在建造中の4隻の状況を説明している。5か月後の同年12月1日、川村は別の書簡(物産321所収)を社長に送った。上質の和紙に墨跡鮮やかなこの書簡は、新らしい社船「三嘉丸」の進水を社長に報告するものであった。2通の書簡における内容と形態の関係は明瞭である。最初の手紙は、情報の伝達が目的であり、匿名のタイピストがタイプをしている。2通目は、進水という儀式の無事遂行を代表者である社長に報告する儀礼的なものであり川村の自筆で書かれている(無事進水の一報はすでに電報で送られていた)。
学術研究は、通常、内容の分析と形態の分析を分離して行う。歴史家は一般的には、文章の言葉の中身、意味内容に焦点を当てるのに対し、美術史家は視覚的な形態を分析する。川村から社長への2通の手紙では、内容と形態が関連していることが明らかである。それはどのような関係であろうか。西田幾太郎は、「書の美」という短い文章の中で、書道は「自己の生命の躍動」を表現しうるものであり、筆が感情を書面に刻み込み、身体を言葉に繋ぐと述べている。筆が身体と言葉を繋ぐものであるとすれば、タイプライターは両者を切断すると私は考えている。タイプライターは、文章から身体を切り離すことによって、筆者が、男性であるか女性であるか、高等教育を受けた者か否か、潑剌としているのか疲労しているのかを判断することを著しく困難にした。それは同時に、書かれたものを、読みやすくし、消費と保存、複製、流通がより素早くなされるようにもした。身体性を取り除くことにより、書道の擁護者たちが指摘する通り表現の複雑さは犠牲となったが、より多くの人々がより迅速にその言語を書いたり読んだりすることができるようになったのである。
(歴史学博士/ピッツバーグ大学助教授)