機械部契約書から海外調査へ
三井文庫を初めて訪問したのは、博士前期課程の1年目、1999年の夏であった。訪問の目的は、機械工業史の先行研究でよく引用されていた三井物産の「機械部契約関係書類」の中から農機具メーカーとの契約書を探すためである。閲覧手続後、閲覧室の方から手渡されたのが、B5サイズで横綴じの青色のファイル「三井物産資料目録(追加)契約書類下」であった。メーカー名が並ぶリストを確認していくと、広島の有力精米機メーカー「佐竹製作所」の名前が目に留まり、「あ、あった!」と声を上げたのを今でも覚えている。これが私にとって農機具に関する一次史料と初めて出会った瞬間であった。
「機械部契約関係書類」には、契約書に加えて、関係資料がまとまって収められている場合が多く、その有無は資料目録の備考欄の「関係書類共」に示されている。佐竹製作所の場合も豊富な関係資料が含まれ、本契約が佐竹製精米機の「満州」および台湾・朝鮮向けの一手販売契約であったためか、1933~34年頃の広島出張員と奉天、大連、台北などの在外支店・出張所との往復書簡(レター)が多数残されていた。契約交渉にかかわる書簡の中で目を惹いたのは、当時の佐竹製作所の社内事情を述べた部分である。創業者の佐竹利市が三井との取引に前向きなのに対して、佐竹の大口資金提供者の一人(横田某)が三井に懐疑的で契約内容に色々と横やりを入れてくるため、広島出張員が機械部や在外支店と協議しつつ、その対応に苦慮している様子が書簡から鮮明に浮かび上がってくる。
さらにこの「佐竹製作所契約書」は、私にとって商社の機械取引に目を向けるきっかけを与えてくれた恩人でもある。国内市場のみの狭い視野で捉えていた研究視角が、三井物産の往復書簡を読み解くことで植民地市場や海外市場に拡がっていった。三井文庫における一つの史料との出会いが、その後、アメリカ国立公文書館やオーストラリア国立公文書館所蔵の接収史料の調査に繋がり、商社史の共同研究へと導いてくれたのである。
(立教大学)