三井文庫に通った日々
私が三井文庫を初めて訪れたのは1980年代初め、大学院1~2年目の頃であった。戦前期日本の鉄鋼業に関する産業政策について研究していた私は、三井文庫が三井鉱山株式会社(当時。現在、日本コークス工業株式会社)から寄託を受けていた『三井鉱山五十年史稿』・五十年史編纂関係資料を閲覧するためにしばらく通わせていただいた。
この研究は、1934年の官営八幡製鉄所民営化・日本製鉄株式会社設立に帰結する農商務省・商工省の企業合併政策について、それへの民間企業の関わり方に焦点を当てたものであった。この点を明らかにするためには、鉄鋼業各企業の経営者や主要株主の合併政策に対する立場、意見を広く知る必要がある。当時の新聞、経済雑誌、業界誌等を渉猟したがそれでは十分ではなく、特に三井鉱山を通じて釜石製鉄所と輪西製鉄所を経営するなど、鉄鋼業と深い関係を持っていた三井財閥の立場が明確に分からなかった。そこで三井鉱山の許可を得て、『三井鉱山五〇年史稿』・五十年史編纂関係資料を調べることにした。
この資料には、合併政策を審議した政府の審議会(製鉄鋼調査会、1924~25年)における団琢磨・三井合名理事長の発言記録が含まれており、それによって三井財閥が少なくとも1920年代には自らが所有する上記二つの製鉄所を八幡製鉄所との合併に参加させることに消極的であったことを示すことができた。この論点を一つの核として、筆者は「1920年代の鉄鋼政策と日本鉄鋼業-製鉄合同問題を中心として」(『土地制度史学』103号、2-17頁、1984年)という論文をまとめた。これは筆者が最初に学会誌に公刊した思い出の深い論文である。また三井財閥が合併政策に対してこのような姿勢をとったという認識は、その後における筆者の財閥研究の基礎となった。すでに30年以上前のことになるが、三井文庫でこの資料を読んだ時の楽しさ、窓から見えた秋の景色など、最近のことのように鮮明に思い出される。
(東京大学大学院経済学研究科教授/日本経済史)