研究の原点となった「社外支払運賃傭船料」
筆者が初めて三井文庫へ伺ったのは1991年、大学4年の卒業論文の作成のためであった。そこで、川村貞次郎資料に含まれていた1931年度の「社外支払運賃傭船料及び当社給供焚料炭代」(川村3-12)をみて、その後の研究が決定づけられることになった。同資料は1927年上期まで三井物産本店業務課で作成され、その後、同本店受渡課で作成されていた各店・各部の社外の船会社への運賃支払い額を集計した表である。
海運論では一般に自己貨物輸送から他人貨物輸送への経営形態の変化に近代海運経営成立のメルクマールを求めており、三井物産船舶部が第一次大戦期以降、組織の自己拡大を目指すときに、社外貨物の積み取りを積極化するのは当然の現象と考えられていた。しかし、「社外支払運賃傭船料」から分析すると三井物産の取引貨物全体に占める船舶部の輸送比率は2割程度しかない。なぜ、膨大な社内貨物を有するにもかかわらず、一般貨物の積み取りへと進出するのか。この問いに対する満足な答えが出たのは2009年に発表した論文なので、その後、18年間も問い続けることになったが、当初はこうした問い自体が成立するのか、ずっと不安だった。三井文庫には同資料が一点しかなく、一時点の一資料だけで判断できるのか心配だったからである。それだけに、何年もたって研究が行き詰まり、一歩も前に進まなくなって、何の当てもなく一人で訪れたアメリカ合衆国国立公文書館で、接収史料の中から同資料をまとめて見つけたとき、その喜びは言葉に表せないものがあった。この体験は今でも研究の原点となっている。
(高千穂大学)