都市生活史料の宝庫
社会経済史系の研究機関に勤めながら、統計や数字を扱うことがとことん苦手である。だからというのは言い訳だが、私の視線は、商家経営に携わる「人」にあり、彼らが何を考え、どんな動きをみせたか、探究を続けている。
かつて私は、大坂鰻谷の住友本邸前で江戸時代、頻発した捨子の発見例について、拙稿「都市大坂の捨子養育仕法」(『住友史料館報』第40号、2009年)にまとめた。周知のようにこの分野の先行研究は少なからずあって、大まかな流れはよく知られている。捨子禁令の主旨を踏まえ、町による強い関与を求められたが、大坂と京都では様相にそれなりの違いもあったようだ。
大坂の、というべきか住友のケースでいうと、本店に出入りする特定の「手伝」の行動が際立ち、当面の養育はもとより、公儀への事務折衝から何から、主体的な役割を果たした。
一方、三井文庫には京都両替町の捨子関連史料がある。たとえば「捨子いく縁付一件」(続6488-3-1)で、文政10年4月の養子縁組までを記す。この前後に同様の史料がまとまる(続6479~91)。これは、菅原憲二氏の先行研究(『歴史評論』423号)にも言及がある。眺めたところ、当座の養育や乳の確保、養親の世話をはじめ町レベルの関与が実にスムースに実現している。
他町の事例がみいだせないか。そして三井のような大店は、捨子措置のシステムにどう関与した(すべきであった)か。さらに多くの史料を掘り起こしたいのだが、あいにく未だ果たせていない。
さて、捨子の事例を通じて知るべきは、生命の救済という深遠な課題に対する、人びとのとらえかたであろう。史料からうかがえる様相は一見、合理的な性格をもつようにみえる。それはもちろん、現代社会でいう「セーフティネット」などと対照し得る制度でないけれども、都市社会に不可避的に内在する弱者へのまなざしを具現化した、実に巧妙な仕掛けだといえる。ポイントは、誰が何を考えてそれを担ったのか、だ。
いわずもがな、三井文庫は都市生活史料の宝庫である。この論点、いずれ機会を得て、じっくり検討してみたいと思う。
(住友史料館主任研究員)