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官員方繰替金証書

鵜飼 政志
官員方繰替金証書
官員方繰替金証書(追2102)
官員方繰替金証書
金札弐千五百両請取書(追2102-3)

徳川幕府や島津・前田家などの御用を務めた三井は、明治政府とも親密な関係を築いている。それは日本を代表とする富商だったからなのか。それだけではない。三井の側からしてみれば、為政者に対する公私を問わない人間関係を構築しようとする姿勢が、それを可能としていったともいえる。

三井は新政府の要人にかなりの金銭を融資している。王政復古当時、大久保利通たちに個人信用で5万両を貸し付けた記録の写が稿本にあるが俄には信じがたい。確実なもののうち、明治初年だけみても、渋沢栄一、井上馨や伊藤博文、大隈重信や山口尚芳らへの貸し付け、さらには旧幕府時代から御用関係があった薩摩藩士族、大久保利通・小松帯刀・中井弘らへの多数の貸し付け記録が三井家記録文書に残っている(追2102~5号)。これらの貸し付けは繰り返しおこなわれており、個人融資の性格も否定できない。小松は早世し、大久保は政府で重要人物になったが、中井は早くに政府の中枢から外れていった。三井の姿勢は厳しいものとなり、ウィーンで在外勤務中であった中井には、同じ薩摩出身でパリの鮫島尚信駐仏公使を介してまでして返済を督促している(追2104-3-2号)。さらに、中井の母親にも書翰を送っている(追2104-6-2号)。1875(明治8)年、金策に窮した中井は、知己であった大倉喜八郎に立て替え弁済を依頼した。大倉は1000円を立て替え返済している(追2104-7号)。

大倉もまた政府の御用商人として台頭していったが、こうした事実は、明治初年における政財間の人間関係を動かす要素として見逃してはならないと考える。

(東京経済大学/明治維新史)

官員方繰替金証書
官員方繰替金証書(追2102)
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金札弐千五百両請取書(追2102-3)