三井物産の豪州進出と「支店長会議議事録」
オーストラリア国立公文書館シドニー館の所蔵する三井物産シドニー支店の関係史料などによって、三井物産の豪州進出過程について検討した際に、「三井物産支店長会議議事録」を繙き示唆を得たことも多い。物産のシドニー進出の経緯などもそうした一例である。
1901(明治34)年に物産は出張員をシドニーに派遣し直輸出入を試みたが、1903年九月に廃止しており(『稿本三井物産株式会社一〇〇年史上』207頁、262頁)、その後、日露戦後の1907年の「三井物産支店長会議議事録」には、「濠洲ニ於ケル商売ニ付テ、今ヨリ注目スルノ機宜ニ適スルモノナルヘキヲ以テ、「シドニー」ニ出張員ヲ置クコトヽ定メタレハ、此地ノ商売ノ事モ亦念頭ニ置カレタシ」とあり、1909年10月1日にシドニー出張所を設置している(『三井事業史本篇第三巻上』466頁)
そして、1915(大正4)年の「三井物産支店長会議議事録」には、「対濠及対南洋商売ニ関スル件」がとりあげられており、第一次大戦期の欧州諸国からの輸入の杜絶によって生じた間隙を埋めるべく一層の進出が検討されている。「当会社ニ於テモ、羊毛、木材等ノ外ニ有望ナル品目ヲ選択シテ、日濠商売ヲ拡張セハ、南洋諸方面ト相俟チテ利益尠ナカラサルヘシ」、「濠洲及ヒ太洋洲諸島ヲ当会社ノ一商業区域トシテ、新商売ヲ開拓セント欲セハ、今日ノ時機ヲ逸スヘカラスト思考ス、右ニ付キテハ、商品ノ選択ト共ニ出張員若クハ売込人ノ配置等モ充分ニ考究致度モノナリ」と述べていた。シドニー出張所は、こうして第一次大戦が終了し、英国による豪州羊毛の管理が解除されるに先達て、1919年8月にシドニー支店に昇格した(『三井事業史本篇第三巻上』356頁)。
オーストラリア国立公文書館シドニー館の所蔵する三井物産シドニー支店関係史料の検討の際にも、三井文庫の所蔵する物産関係史料を渉猟することによってまた多くの示唆が得られるものと思われる。
(岡山商科大学経営学部教授/神戸大学名誉教授)