1. HOME
  2. 私の一点
  3. 三井、将軍権力に昵近す-三井家編纂室の謄写史料から-

私の一点トップへ

三井、将軍権力に昵近す-三井家編纂室の謄写史料から-

村 和明
三井、将軍権力に昵近す-三井家編纂室の謄写史料から-
三井高伴「覚書」(特146)
三井、将軍権力に昵近す-三井家編纂室の謄写史料から-

宝永7年(1710)正月、明治まで三井を支配する統括機関・大元方が始動した。この節目の年に、同苗の重鎮高伴が、江戸の諸店を視察した報告の写しが「覚書」(特146)である。高伴はこのとき52歳。かつて江戸に常駐し、幕府勘定所との関係を築いて両替店を発展させ、2年前に隠居して京都に移住していたが、大元方創設の影響を自らの目で確かめようとしたのだろう。全22丁と限られた分量で記述は簡潔だが、史料が乏しい時期の貴重な証言である。

高伴は、勘定所の支配者・荻原重秀の家中本間新七に面会。荻原への寒中見舞(「紀州の蜜柑と真鰹の粕漬」)や内談書の書き方を指示され、また本間が越後屋にためたツケの減免を相談されている。将軍家宣の側用人・間部詮房の家中井上茂右衛門にも面会、間部に貸している千両が返済された後も引き続き用立てたいと申し入れている。井上ら家中7名に計7百両ほど貸付があることも記す。

また、高伴にかわり江戸に常駐していた三井高久の談として、今後将軍家宣の側衆青山幸能・納戸頭伊与田武道ヘ「何とぞ取り入り申したく願い」、「す手にては成りがたき」ため、2人へ「金高四五百両ばかりも打込」むつもりと記すのが、なんとも直截で面白い。一昨年、三井と幕府権力者の関係を考えた際(「三井の武家貸と幕府権力」牧原成征編『近世の権力と商人』山川出版社)、荻原・間部・青山に簡単に触れたが、この史料に気づかなかったのは痛恨であった。新将軍の襲職から2年弱、三井は新時代の権力者と関係を構築し、さらなる伝手も模索していたのである。高久は結局、青山とは懇意になったが(拙稿)、青山がこの数年後、格式ばかり高い駿府城代に進んだのは、ややあてが外れたであろう。

この史料には、高伴の子孫室町家の所蔵本を、三井家編纂室(三井文庫の前身)が明治41年2月に写したと付記がある。同室は史料や研究を公開できない制限の中、謄写による史料収集にも地道につとめていて、その成果がこの史料をふくむ特番号のうちにある。原本が含まれないためか、従来あまり光が当っていないが、このように原本が伝わらない重要文書や、伊勢・近江などで採訪した古文書の写しがあり、疎かにしがたい。三井文庫としても検索手段の充実には引き続き努力する予定である。大方のご利用に俟ちたいと思う。

(三井文庫主任研究員)

三井、将軍権力に昵近す-三井家編纂室の謄写史料から-
三井高伴「覚書」(特146)
三井、将軍権力に昵近す-三井家編纂室の謄写史料から-