三井物産とソコニーの揮発油販売交渉
私がはじめて海外調査したときのことである。米国国立公文書館で日本商社在米支店の接収資料を閲覧したのは、太平洋戦争の一つの要因であった日米石油貿易の実態を知りたいと思ったからであった。捜しても探しても狙った石油関連資料は姿をとらえることができなかった。後日、米海軍が日本海軍や日本の石油消費量を推定する資料として押収した商社資料から抜き取り、徹底的に分析されたことを知ったが、当時は知る由もなかった。日本がアメリカやドイツから輸入した工作機械や装置関係の販売データは、日本の空襲ターゲットの選定や工場の場所の特定に使われ、日本の戦時の経済力が工場単位で丸裸にされたのであった。悔しかったが、後日、『米国司法省戦時経済局対日調査資料集』(クロスカルチャー出版、2008年、全4巻)を刊行して一矢を報いたのは、幸いであった。
初めての訪米では、上述の理由で目的の資料に遭遇できなかったが、小生の資料探しの頓挫寸前の危機を救ってくれたきっかけが、三井文庫に所蔵されている三井物産『業務総誌』大正15年上(物産2673-5)であった。同資料のなかに、「G社、紐育スタンダード社合併」に関する記録があり、この資料に触れたことで、ゼネラル石油(G社)のスタンダード石油(紐育、SOCONY)合併に伴い揮発油販売を三井物産が行うのか、それともス社日本支部が担当するのかという営業分野の割振り問題にも着目することが可能になった。
三井物産とス社の交渉の全容が把握できるような資料がそのまま残っていた。ゼネラル石油との契約で、G社が合併されても、重油取引は物産が継続することになっていたので、重油は現状のまま変更はなかった。物産は、揮発油市場は拡大すると予測し譲らず、ス社日本支部も譲らず、交渉は破断寸前になるが、ス社本社の仲裁で危機一髪妥協して、物産が揮発油を扱うようになった。この経緯を詳細に跡付けることができ、研究者として徳俵で残ることができた。
この時のピンチを切り抜けたことで、私のワシントンDCの米国国立公文書館通いが始まり、さらに世界各国のアーカイブ参拝へ道を開くことに結び付いた。研究者への道と海外アーカイブ遍路が、『業務総誌』との出会いから始まった。
(九州大学記録資料館)