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『支店長会議議事録』にみる白熱した議論

前田 和利
『支店長会議議事録』にみる白熱した議論
三井物産「支店長会議議事録」(物産197)
『支店長会議議事録』にみる白熱した議論

『支店長会議議事録』は、『支店長諮問会議事録』、『支店長打合会議事録』、『支店長会議事録』等の名称でも使われているが、ここでは表題の名称に統一した。

筆者の関心は、三井物産が総合商社体制を整備・展開していく過程での付帯業務としての海運業にあった。同事業は明治20年代に三井物産の組織機構に組み込まれ、36(1903)年には船舶部として位置づけられた。同部の機構・機能は三代部長川村貞次郎〔明治39~大正13(1924)年〕によって強化され、分離・独立構想の機運を高めた。

船舶部の独立論が表面化したのは第2回支店長会議(大正2年、以下会議とする)で、以後その位置づけをめぐって議論が活発化した。第4回会議(同5年)では造船業の兼営や海運会社の設立が川村より表明された。第5回会議(同6年)では川村の船舶部犠牲論に対し、種々の見解がでた。赤羽克己業務課長が「補助機関たる本能を発揮すべき」と述べ、川村は独立は不能でも船舶部コントロール下での船会社の設立を主張した。

第6回会議(同7年)で船舶部より組織機構の拡充が要請されて組織改革が実施され、同部は専門の船会社的組織となった。第8回会議(同10年)では藤瀬政次郎常務取締役が造船部独立(同6年)の是非を提案し、船舶部長兼造船部長の川村が船舶部と造船部の独立経営論を展開したのに対し、赤羽は造船業は三井物産の事業に適さずと述べた。この問題は藤瀬によって研究課題とされた。両部独立構想は常務取締役となった川村によって「意見書」(同13年)として出されたが、その影響力は明らかではない。

一事例として要約した船舶部・造船部独立をめぐる議論の展開をみると、『支店長会議議事録』が経営組織のあり方や意思決定過程を知る上での必須史料であることがわかる。

(駒澤大学名誉教授)

『支店長会議議事録』にみる白熱した議論
三井物産「支店長会議議事録」(物産197)
『支店長会議議事録』にみる白熱した議論