三井物産から見た「反対商」高田商会の動向
筆者は三井財閥史の専門研究者ではないので、多くの三井文庫所蔵資料を利用したわけではない(それでも釜石鉱山、輪西製鉄所、日本製鋼所など三井系鉄鋼企業を調べる際に利用)。
そこで、ここでは通常とはやや異なる資料利用について記しておきたい。
というのは、近年の拙著『日本軍事関連産業史-海軍と英国兵器会社-』(日本経済評論社、2013年)で高田商会(明治期の兵器・機械商社)を論じるに際し(第2章)、同商会は関東大震災後に倒産したこともあって残存資料が極めて少ないなかで、三井物産側から「反対商」高田商会の動向を探ることが重要な意味を持つと判断し、三井文庫所蔵の三井物産機械部資料を探索・利用したのである。
三井物産(機械部)では、高田商会が海軍との取引においては物産に勝る状況のもとで、次のように高田商会・海軍(とくに呉鎮守府司令長官山内万寿治)間の「壁」を突き崩すべく対策が話されていた。
〇岩原(謙三、理事心得、機械部長、ニューヨーク支店長、会議で司会役)
諸君ノ既ニ知ル如ク呉ト高田トノ関係ハ決シテ一朝一夕ノ関係ニアラス一種特別ノ関係ナリ、近来聞ク所ニテハ長官ノ「ブラザーインロー」カ呉鎮守府ノ御用商人ノ資格ヲ以テ大ナル仕事ヲ為シ居ル由ナリ
(三井物産「機械鉄道金物会議々事録」明治39年6月4日[物産206])
「長官ノ『ブラザーインロー』」とは山内万寿治の義弟・近藤輔宗を指す。この直後では、物産側が近藤を取り込めないか検討されている。物産は、高田・海軍(とくに山内)との対抗上、その後、松尾鶴太郎(海軍造船総監を経て予備役)を技術顧問・機械部長として採用する(ジーメンス事件への伏線![前掲拙著第五章参照])。
なお、三井物産が同事件で検察に捜査・押収された文書中、事件に直接関係する資料は返還されなかったと思われる。そうした意味でも、残存している前記資料は貴重である。
(獨協大学名誉教授/近現代日本産業史とくに鉄鋼業史・軍事関連産業史)