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「敵役」が残した「反対商調」

武田 晴人
「敵役」が残した「反対商調」
反対商調(物産337-9・10、物産357)
「敵役」が残した「反対商調」

私の一点は支店長会議資料として残る「反対商調」(物産337-9、10、物産357)である。

三井文庫を訪問して資料調査をお願いしたのは、私が大学院から助手になる時期のこと。40年近く前になる。『三井文庫論叢』に産銅カルテルに関する論文を掲載する機会をいただき、三井物産をカルテルのアウトサイダー、つまり敵役として登場させるために、物産の支店長会議などの資料を見たのが最初だった。そのあとすぐに古河商事の大豆豆粕の先物取引投機の失敗(大連事件)を書くために、三井物産や鈴木商店など他の貿易商社の動きを知る手掛かりとしてたどり着いたのが「反対商調」だった。限られた時期しか残されていないために執筆中の論文では十分には活かせなかった。それでも古河の内部資料から距離を置いて対象を考える上では貴重な情報源となった。

しかし、今、改めて資料を閲覧してみると、それは貴重な情報にあふれ、それを十分に使いこなせなかった不明を恥じ入るばかりである。翻って考えてみると、三井文庫という「宝の山」を遠巻きに眺めながら、三井に有力な銅山がなかったという単純な理由で近づこうとはしなかった。それでも三井財閥の研究は、古河や藤田、三菱などの歴史を考えていくうえでは常に参照すべき基準であり続けていた。だから、三井文庫という宝の山から発掘される新しい知見は、私の研究の針路にも大きな影響を与えてきた。これからも研究意欲をかき立てるような研究が三井文庫から生まれ続けることを期待したい。

(東京大学名誉教授)

「敵役」が残した「反対商調」
反対商調(物産337-9・10、物産357)
「敵役」が残した「反対商調」