歴史研究ならでは、失敗の分析
企業経営は表舞台と舞台裏の二面性で捉えることができる。表舞台とは外部から観察が容易な側面であり、舞台裏とはその逆である。企業研究の多くが表舞台を対象としている。企業が外部に発信する情報に研究が引きつけられるからである。財務的分析をはじめ、近年華やかな戦略、ヴィジョン、組織・制度改革などに向けた研究がそれに当たる。当然ながら、観察が容易でない舞台裏の研究には難関が多い。しかし、経営内実の分析には舞台裏への踏み込みが欠かせない。現代企業研究と歴史企業研究の対比では、現代企業研究が色々な面で舞台裏にまでの踏み込みがしやすいのだが、一部では「歴史研究ならでは」という状況も存在する。三井文庫にはこの「歴史研究ならでは」を可能にする研究資料が少なからず残されている。
ここで紹介するのは、三井物産の貿易取引における失敗を分析する資料である。経営上の、或いは取引上の失敗とその対応を記録した資料は企業競争力分析において極めて有用であるが、企業内部情報として外部にはなかなか出てこない。これが歴史資料となって世にでてくる場合がある。三井文庫所蔵の三井物産資料「経験録」(物産468)がその一つである。大阪支店が支店職員から商売上のトラブル経験情報を幅広く収集し、それを類型化編集して大正10年に社内限の冊子として発行した。取引トラブルの類型数は35類に上る。残念ながら三井文庫に現存するのは冊子の約半分のページのみだが、それでも17類にわたって292事例が載っており、客先とのトラブルの経緯、原因、結末が詳しく書かれている。注目されるのは、この内容が、戦後貿易統制下故に総司令部が実態把握していた日本をめぐる貿易トラブル全体像(担当官著『貿易クレイム』)ときわめて類似していることである。なお、三井文庫にはこれ以外にも取引上の失敗事例に関わる資料が幾つかあるが、例えば、「係争事件摘録」(物産349-4)や「社報」(物産41-1~物産42-3)掲載項目の一つである「譴責懲罰」欄などである。(詳しくは拙書『企業競争力と人材技能』pp.133~139)
(国士舘大学非常勤講師)