宿題が不意に解けるとき
大学3年時の演習で、私は白木屋文書(東京大学経済学部所蔵)から江戸の富沢町の古着市場に関する史料を取り上げて報告したが、古着の内容やそれを扱う商人の性格など、多くの課題を残していた。9年の歳月が流れ、それを再考すべく、白木屋文書を閲覧していたとき、古着を販売する白木屋富沢町店の得意衆が呉服・太物を扱う問屋衆の売先と同じであると記す史料に接した。その意味がわからず、呉服なら三井と思って『三井事業史資料篇一』を繙くと、延宝店式目や宝永店式目には、在庫の処分先として創業当初から富沢町を考えていたと読める内容が含まれていた。しかし、それ自体、私の理解を超えており、式目の記述だけで確定的なことを言うのはためらわれた。富沢町や古着売買の実態に関わる史料はないかと、三井文庫の所蔵史料目録を手に取ってはみたが、ぱらぱら見ただけで気が遠くなった。
それでも重い腰を上げて三井文庫を訪れたある日、目録で何となく気になった史料の中から出納をお願いしたのが「向店手代不法一件書類ノ内」5点のうちの「申春季向店目録江戸表通達ノ控幷右一件共之留」(本1612-1)である。この一件は元文5(1740)年、向店の春季目録で代物の不足が発覚し、9人の手代が押籠になったというものである。史料を広げた途端、目に入ってきたのは「飛沢町幷古着屋仲間」の文字であった。本店・向店から出る呉服物払物はそこに出すことになっていた、というのである。知りたい内容に合わせて錯覚を起こしたのかと思うほど式目と符合する記述に驚き、一件の他の史料を見ていくと、古着屋と呉服屋の関係や富沢町の位置付けなど、未解明の課題は自ずと解けていった。
具体的な内容が伝わりにくい表題を持ちながら、研究関心に直接応えてくれる史料が、ただ一度の請求によってあの膨大な史料群の中から姿を現したときの光景を、今もなお鮮やかに思い出す。10年来の宿題を解決してくれた史料との邂逅の場を三井文庫で持てたことに、私は深く感謝している。
(東京大学史料編纂所)