地図作者・澤田員矩の資料紹介
18世紀の大坂に、澤田員矩(1717-1779、字は呂少)なる地図作者がいた。石田誠太郎『大阪人物誌』(石田文庫、1927年)によれば、生涯「無慮一千三百有余」もの地図を作製したという。ただし、今のところ、全国で現存が確認されている澤田が関わった図は、評伝に比して、世界図・道中図など数点に留まる。そうした数少ない現存図の一つが、三井文庫に所蔵されている「桂川・淀川・木津川水源之図」(C742-3)という手描きの河川図である。
蓋裏に「宗辰居士所聚新町家」と墨書された木箱の中に、計3巻の図が収められている。それぞれ、山城国水垂から水尾峠に至る桂川筋、琵琶湖から瀬田川・宇治川・淀川・神崎川筋、山城国八幡から大和国添上郡境に至る木津川筋を描いた巻に分かれている。各巻は非常に長大であるため、以前、1巻ずつ、3人がかりで展開や記録を分担して調査させていただいた。少しずつ広げて見てみると、いずれも横に長く料紙を継いで川筋を描いており、河道の屈曲を料紙を折り込んで表現する工夫がこらされていることが確認できた。また、河道や沿岸の地名には貼紙や墨書による修正・抹消が多数みられた。完成図ではなく作製途中の可能性が考えられる。3巻ともに、宝暦6年(1756)啓蟄という作製時期、そして「澤田員矩」との署名が記されている。員矩40歳の作であることがわかる。
三井文庫に所蔵された豊富な地図資料については、すでに数多の先学の注目するところである。しかし、本図のように考究の対象となるべきものはまだまだ多いように思われる。今回はその一例として、特に日本の地図史を考える上で興味深い人物の関連資料を簡単に紹介した。度々閲覧の場を提供いただいたことに感謝申し上げたい。
(日本学術振興会特別研究員/京都府立大学大学院文学研究科博士後期課程)