三井合名会社「理事会記録」
1918年、三井合名会社に理事会が設置された。三井合名会社における最高議決機関は、三井一一家の当主である合名社員11名が構成員となる社員総会であったが、そこに付議されるのは、同社決算などごく限定された案件のみで、それ以外の重要な意思決定は、合名社員中から選任された業務執行社員(会)の承認でおこなえた。専門経営者のみで構成される理事会は、業務執行社員会に先立つ事前審議の機関と位置付けられた。理事会には、三井合名会社自身の重要案件と合わせて、傘下の三井物産・三井鉱山・東神倉庫からの議案が提出された。これら三社については、各社取締役会で可決された案件のうち重要なものは、三井合名会社の承認を得て初めて正式な決定となる制度が取られていたのである。
三井合名会社では理事会ごとに「理事会記録」を作成し、承認された議案の概要、その他の協議事項、報告事項、供覧書類一覧などを記録した。作成された「理事会記録」は次回の理事会で供覧され、理事会メンバーが確認の印(もしくは花押)を記した。「理事会記録」は、1923年12月5日開催の同年第21回理事会から、1940年8月26日開催の第37回理事会(三井合名会社最後の理事会)までのものが保存されている。1923年の第20回以前の記録は、関東大震災の折に焼失したものと思われる。
三井文庫には、大元方「聞書帳」(宝永7年)に始まり、大元方「寄会帳」、三井商店理事会議事録、三井営業店重役会議事録、三井家同族会管理部会議録など、三井という事業体の最高レベルでの意思決定内容を把握できる史料が残されている。三井合名会社「理事会記録」も、それらに連なる第一級の経営史料である。
しかし、「理事会記録」から一歩奥へ進もうとすると、その道は険しい。傘下会社から提出された議案は、ほとんどが原案通りに承認されている。理事会の審議を経た議案が業務執行社員会で否決されることもなかった。理事会に諮られる前に折衝がなされ、調整済の議案が提出されたものと考えられる。「理事会記録」からは、そうした事前調整の様子は判らない。その過程で、資本所有者である三井同族の意思がどのように反映していたのかも窺い知れない。「理事会記録」は、そうした探求の出発点である。
(三井文庫上席研究員)